タイトル無題

実家のウサギが月に帰ったんだってさっき妹から連絡がきて、泣いた泣いた泣きました。そもそもは昼に母から第一報、給湯室で涙をやり過ごし、思い出されるウサギとの日々。でも彼女はわたしが実家を出てから飼われたウサギだから、実際目にしたエピソードというより、みかんを美味しそうに食べたとか、みかんの汁がお鼻について拭った仕草がかわいかったとか、普段塩対応のくせに撫ででほしいときだけすり寄ってくるとか、撫でてやった後に毛繕いをするから憎たらしいとか、その毛繕いのさまを見て父親がまいど「色っぽいだろう...」と呟くので一体どんな風に見えてたのか気になったこととか、手荒くすると地団駄踏んで不満を訴えるとか、しっぽの毛が柔らかいとか、顔の模様が中心からズレてて愛嬌あるとか、夏にいる場所、冬にいる場所、ばあちゃんが描いたウサギの絵を思い出してみたり、じいちゃんはついついおやつをあげすぎる。そういう“家族とウサギのエピソード”を思い出しては涙をこらえた。こらえられなかったりもした。あの、感情が読めない目とか、決して抱っこはさせてくれなかったし、懐いてるかどうかもよくわからなかったけど、間違いなく家族だったこと、家族が欠けた喪失感に苛まれている実家のことを考えると、かなしい。

よく「虹の橋を渡る」っていうけどどうなんだろう。一目散に駆けて行ってしまうのはとても寂しいけど、立ちどまってこっちの心配をしてるようなキャラじゃなかったと思いたい。老体から解放されて、すきに在ってほしいと思う。

ウチの子が大変だったんです

2017年1月9日(月) 雨 新春祈祷にいく

ウチの子が大変だったんです。

 

順番待ちで並んでいたところであっちに行きたいと駄々をこねたので、わたしは右手でウチの子の左手をギュッと繋いだんです。ウチの子が手を振りほどこうとした時にわたしの右手にはポキポキっという感触がありましたが、それはまあ日常茶飯事だったので気にせず握ってたんです、だって振りほどいて遠くに行ってしまうと大変ですから。そうしたらウチの子は「いたい!」と言って泣き出すじゃないですか。この段階でわたしは、あ、強く握りすぎちゃったかなって、もしかしてどこか痛くしたのかなって、ちょっと思いました。でもウチの子狼少年みたいなとこがあって、大袈裟に痛がってやろう、痛いって言えば手を離すだろう、そんな思惑にまんまと引っかかった過去もあって、わたしは握る力を緩めながらも、そんなにたいしたことはないだろうって思ってたんです。でもそれは間違いでした。

泣き出してしまったので気分転換にお茶でも飲ませようと差し出すと、右手は出すのに左手は出てきません。いつもは両手で持つのに、左手は?持たせようとすると、痛がって更に泣いてしまいます。このあたりで夫が、これちょっと変だぞと、わたしもおかしいと思っていたのが確信に変わったところだったので、ちょうど順番が回ってきたところだったのを離脱して、車に戻りました。

車に乗せてもベソをかいていましたが、左腕にはなるべく触れないようにして声をかけたり気を紛らわせたりすると、痛がる仕草は見せませんでした。まず考えたのが脱臼、もしくは最悪骨折したかも...。休日診療所に向かいながら同時に電話し、もしもし、ウチの子が肩か肘か手首を脱臼してしまったかもしれません、とたずねると、ちょうど午後から外科の先生が入っているから診せに来てくださいと。その前にとコンビニでパンやお水を買って与えました。食べさせるために身体を起したりすると痛がるものの、食欲は通常通りです。涙で水分を消費してしまったのかオシッコはしていませんでしたので、水分はしっかり与えました。

さて外科の先生ですが、状況を聞き、肩、肘、手首を触って、娘はもちろん嫌がって泣きましたが、うーんこれは脱臼とか骨折ではないですね、そうだったらもっと痛がるはずですからと。そうだったら触らなくても痛がって泣き止まないはずだし、ほら、左手でモノが持ててるでしょう。そう言ってウチの子にペンかなにかを持たせましたが、先生それって持ってるんじゃなく挟んでるっていうんじゃないのか。レントゲン室はすぐ隣にあるのにレントゲン撮ろうという話にもならず、まあ週明けには整形外科の先生に診せてくださいねと言われて終わりました。先生、あの、もしウチの子の肩か肘か手首がどうにかなってるんだとして、週明けまで待ったせいで後々まで手が不自由になってしまうとか、そういうことはありませんか?ほら見てくださいよ、手首のこのへんちょっと腫れてませんか??ーーけれども先生も看護師さんもまあ様子見てって言うし、待合室には他に大勢の患者が待機してるのもわかっていたので、われわれは診察室を後にしたのでした。

ウチの子は泣き疲れて眼も半開き、そうだいつもならお昼寝の時間だ、これも眠くてグズっているだけなのかもしれない。ゆっくりお昼寝して、起きたらすっかり良くなっていたら...、しかしゆっくりお昼寝から起きても状況は変わらず、左手は下げて動かさぬまま、触ると泣く、おやつは食べる、アンパンマンは観る、そんなかんじで夕飯時をむかえ、夕飯は片手じゃ食べづらかろうからアーンしてやろうというと自分で食べるからと断固拒否、いつも通りおかわりを要求し、スペシャルデザート(みかんゼリー)に気を良くし、そしてここで最大の難関がやってきた。

風呂。二人掛かりで服を脱がせ、もちろんその間は大泣きでしたが、洗い場では気を紛らわせれば大丈夫、左の手のひらから肘にかけても撫でるように洗うぶんには大丈夫、しかし左の脇の下を洗おうとすると痛がるのでした。結局はどこが痛いの?肩なの?肘なの?見た目ではわかりません、もう泣き叫んだまま洗い流し、勢いで身体を拭いて、勢いでパジャマを着せ、そのときまた「いたい!」と叫んでましたけども、勢いで髪を乾かし、リビングまで戻ってまいりました。

泣き止むまで赤ちゃんの頃のように抱っこし、痛くしてごめんね、痛くしてごめんね、明後日お医者さん行ったら治るからねと、そこで風呂から上がってきた夫がひとこと、あれ、左手治ってるんじゃね?娘を見れば、憑き物が落ちたかのように穏やかな(もしくはいつものなにか悪戯してやろうと企んだ)顔をしており、おそるおそる左手を触っても泣くことはなく、握れば握り返してくれ、嬉しくてわれわれはハイタッチをしたのでした。

今回は肩か肘か手首が脱臼しかけてたとして、パジャマを無理矢理着せたときにはまったんじゃないかという結論。脱臼はクセになるというから腕をムリにひっぱるのは気をつけようという教訓。でもイヤイヤ期が始まった娘をコントロールするのは大変だよねという共通見解。そんな仏滅の日曜日。翌日娘はソファから転げ落ちて頭をぶつけ、だからソファのうえでは立ち上がるなどいってるだろうがと言えば「なんで?」「どうして?」、つまりなぜなぜ期が始まったみたいで、もう知らんといったかんじです。

短歌の目12月 投稿します

間に合ってよかった、これで年が越せるってな感じです。よろしくご覧ください。

 

1. おでん
年末をウィークエンドと言わしめておでん おまえと年を越すのか

 

2. 自由
左から時計回りにやってきた自由なあの子がくれたラの音

 

3. 忘
冬型の気圧配置の匂いなら忘れないから 空が晴れても

 

4. 指切り
指切りはアダムとイブの知恵くらべ 足の踏み場もないほどリンゴ

 

5. 神
臍の緒のごと充電器手繰り寄せ繋がるさきに神ぞあらんや

 

テーマ詠「冬休み」

あらたまの雪や染まれのエモーション#595857

クリスマスした

2016年12月24日(土)  くもりときどき雪 これ以上寒くならないでほしい気持ち

ノルマ達成した?と訊ねると、友人はとびきりの笑顔で「ウチだけで900本売った」と言った。さすがだねー、アンタから買いたいっていう人はいっぱいいるんじゃない?わたしがその一人であるように。「毎年頼んでもらってありがとね。これ、引換券」友人はわたしにモスチケットを握らせて、「今年は時間指定とかじゃなくて、好きなときに取りに来てもらっていいからね」、言いながら車に乗り込んだ。「いつ取りに来る?24日?その日は夜も店に入ってるからさ。待ってるね」別れ際、彼女からは揚げ物の匂いがして、一年で一番大変な日の訪れを予感させたのだった。

そして今日の夕方、店に着いたわたし。駐車場はとても混雑していて、ああこの人たちはみんな今夜モスチキンを食べるのだわ、そんな気持ちで店内に入ると、混雑する店先、しかしチキンを受け取って家路を急ぐような一人もいなかった。細長い店内の、さらに奥で仕切られた喫煙スペースまで埋め尽くして、ただ座っている人たち。食事をしている人は誰もいない。そこにいたのはチキンの出来上がりを待つ人々だった。店内でのチキンの揚げ方が全然間に合っていなくて、とりあえずお席にお掛けになってお待ちください、と言われた人が店内を埋め尽くしていた。「何分待つんですか?」「今ちょっと混んでまして、30分以上かかるかも...」(まじかよ...)みたいな、絶望まじりの無言の空気が店内を支配している。彼らは業務用冷凍庫でこれから揚げられるのを待っている900本のチキンのようだった。友人はとびきりの笑顔でそれを捌いていた。ああ来年は酉年だなあ、なんて、店の外に出ると車の窓には雪が積もっていた。

一歌談欒 vol.3 参加します

こちらの企画に参加します。

よろしくご覧ください。

一歌談欒Vol.3 - 人生ぬるま湯主義

 

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい(笹井宏之)

 

静かなところで暮らしたいと思った。
「都会の喧騒から離れて」なんていうほど都会でもないこの街の、この窓から見えるあの森は静かなんだろうか?、いやあれは森というより山だ。鬱蒼と茂る木は急勾配を駆けあがり、トンネルをくぐる国道があって、合間には林道や田畑が整備されていることを知っていた。山は、静かではない。逆にさ、ハンパな田舎よりも都会の方が、森みたいに緑が広がってたりするもの、上野公園とか...。上野公園には行ったことなかったけど、山よりは森に近いのではなかろうか。けれどやっぱり、うるさそう。
“森”っていったらこのイメージなんだよな。イヤフォンからはサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」が流れている。この曲は北欧の森を想わせる、北欧には行ったことなかったけど。

静かなところに住んでいるとして、と想像する。木のほかなにもない(北欧の)森に一つだけ家があって、そこでの暮らしは自給自足。水を汲みにいき、木を切って火を焚き、畑を作って食べるものを手に入れる。静かに暮らしたいのだから、動物性タンパク質のことはこの際あきらめる。だけど、自分は自給自足の生活をしたいわけではなかった。静かに、静かに暮らしたい。できることなら汗を流したくない。だから決めたのです、人に頼めるものは頼んでしまおう、と。
どこからか労働者を連れてきて、あなたは水汲み、あなたは薪割り、あなたは畑を耕して、とお願いする。作業をするときはこの軍手を使いなさい、無理をして体を壊さないようにね。報酬なら弾みます。わたしにはうなるほど金がある。あなたたちに軍手を売って、築き上げた財産が。
彼らは大変よく働く、けれどもやはり少しうるさいので、仕方がないから家の壁を厚くした。さあ環境は整った。静かな静かなこの森の、この家の中で、一体なにをして暮らそうか。

もしくは。

目線を、あの山より少し手前に移す。去年、大型ショッピングモールが撤退して廃墟と化したあの建物、来月から取り壊しが始まると聞いた。あそこになにが建つんだろう。しょうもないパチンコ屋とかだったらどうしよう。「老人ホームが建つんだって」隣で妹が言った。老人ホームかあ...あーあ。なにかの間違いで、図書館でも建たないだろうか。「図書館?あるじゃん、市立のが」違うのだ妹よ。隣町の市立図書館は確かに立派な建物で、老若男女の知的好奇心を満たしてくれるのだけど、そこに静寂はないでしょう。絵本を読み聞かせる母親の優しい声とか、学生が消しゴムを落とす音、おっさんの咳払い、新聞をめくる音、受付カウンターの端末操作音、そういうのは一切いらない。自分以外が生きている音は、いらない。「そんな図書館あるわけないでしょう」ないなら建てるまででしょう。ああ、なにかの間違いで、あそこに図書館でも建たないかなあ。本に囲まれた静寂。静寂に囲まれた本。この図書館で、一体なにを読もうか。

 

 

“森で軍手を売って暮らす”ことと“図書館を建てる”ことは「静寂を求める」という意味で同じかなと思いました。自分一人の空間を欲すること、ひいては自分以外の存在を認めないこと...。けれどもそうやって創りあげた空間でなにをしたかったのか?までは思い至らずでした。なにもしたくない、「無」になりたい、そんな思いもあったのでしょうか...。

短歌の目11月 投稿します

今月もよろしくご覧ください。

 

 

 

1. 本
路地という路地には本初子午線の呪いが満ちて今日を仕上げる

 

2. 手袋
小岩井の羊 六花を食むごとに偶蹄類の手袋を編む

 

3. みぞれ
半分は東京行きの雪になり もう半分にみぞれ降る朝

 

4. 狐(きつね、キツネも可)
狐火は電信柱に留まってさみしいひとのベッドを照らす

 

5. メリークリスマス
ハッピーハロウィン! 三列シートの真ん中に押し込められて メリークリスマス!

 

テーマ詠「酒」

これとこれ好きだったよねとあの頃のコードネームの前に立つきみ

 

茶箪笥の茶筒の中のビー玉が待っててくれたような ロブ・ロイ

 

 

今月は旅行したりライブに行ったり非日常が多かったからか、「詠みたい!」と思える材料がたくさんあって考えるのたのしかったです。経験が大事なのだな、なにごとも。

せんべい工場

2016年11月26日(土) 晴れ 河の風はつめたい

焼成前のせんべいの重みはいったいどれほどだというのか。その目盛りが10.00になるとそれまでコインゲームの要領で白糸の滝のように落ちていたせんべいは堰き止められ、せんべいを受け止めていた段ボール箱はローラー作業台の上を押し出されるままに少し滑って先のほうで遠慮がちに止まった。すぐに横から空の段ボール箱が供給されて、開放されたせんべいはナイアガラのごとくそこに注ぎ込む。目盛りが再び10.00になるのに3分とかからなかった。次々と産出される10.00の段ボール箱、ローラー作業台の上がだんだん窮屈になってきたころに、奥の部屋から一人の作業員が現れる。そして彼に率いられた、簡易フォークリフトいっぱいの段ボール箱たち。中はみな空だった。

彼は焦らすような動きで空の段ボール箱を補充し、けれどわれわれが焦らされているのはそこじゃない、ローラー作業台の上いっぱいになってしまった10.00の段ボール箱のことが心配でならなかった。あとひとつかふたつの10.00を計り終えてしまったら、そのあとに堰き止められたせんべいたちは一体どうなる?彼はしかし悠々とローラー作業台の前に移動すると、10.00の段ボール箱のひとつをおもむろに取り上げてパレットの上に置いた。それはローラー作業台の先頭でこの瞬間をいちばん長く待っていたやつではなく、二番目か三番目のやつで、そこに彼の、このラインで唯一の意思を持つ生き物としての思惑、または悪意のようなものを感じることができた。

10.00の段ボール箱ひとつ分の空白が生まれたことは、ラインに生じていた閉塞感を打ち破ることに他ならなかった。作業員は相変わらず、間に合うか間に合わないかといった緩慢な動作でわれわれの気を揉んだが、われわれにはもう、彼は信頼すべき人だということがわかっていた。横横縦の3箱を並べた上に縦横横の3箱を並べる彼の手つき目つきはよく見れば慎重そのもので、これから生まれてくる10.00の段ボール箱たちのことも安心して任せることができたのだった。