短歌の目2月 投稿します

考えているうちに春になりそうな。

今月もよろしくご覧ください。

 

 


1. 洗
三十路には三十路の身体つきがあり洗濯表示を無視してわらう

 

 

2. 鬼
プロテインプロテイン、って喧しい背中の鬼に納豆投げる

 

 

3. 入
恋人に化粧ポーチを晒すとき入植者の目をしているわたし

 

4. チョコ
純白にチョコを散らかす踏む抉る油圧ショベルは春を探して

 

 

5. きさらぎ
北からの汽車は今年もきさらぎの半ばあたりで電車になった

 

 

テーマ詠「夢」


てのひらを子宮にあててねむる朝 永久歯ばかり舐めている朝

メタルのおっさん

2016年2月12日(日) くもり ずっと家にいたと思わせるようなくもりだった

拝啓 メタルのおっさん。おっさんは今年の仕事始めに顔を合わせたとき、「今年はメタル元年にしようね」といってにっこり笑った。わたしは、はい、ぜひ!と笑顔で返した、つもりだけどね、ほんとうは一昨年の暮れのころからわたしのメタル修行は始まっていたんだよ、メタル元年というならそれは去年のことだった。

一昨年の暮れにおっさんがくれた手書きのメモは職場に配達される新聞にはさまっていたなにかの広告の裏紙だった。元祖メタルともいえる4組のアーティストからおすすめのタイトルが一つずつ書かれていて、わたしはそれをにぎりしめて、職場から最も遠いゲオに向かった。おっさんのオススメにベストアルバムはなかった。そのころのわたしはテクノからプログレッシブに興味がうつったところで、メタルもその延長線のずっと遠いところに位置する程度とは思っていたから、まあちょっと聴いてみるのもいいもんかなくらいの気持ちでCDをレンタルして、一通り聴いたところで放置していたのだけれども、ある夏の日のドライブ、お気に入りのプレイリストも聴き飽きた、精神の高揚を求めたわたしは、アイアン・メイデンの『The Number Of The Beast』を流した。そして「Hallowed Be Thy Name」に辿りついたのだよ。

youtu.be

最初に聴いたときは演歌かと思ったけど、今でも結構そう思っている。すぐに口ずさめるギターメロディとかビブラートかけまくりのヴォーカルとか、とにかくきもちいい。これがメタルこれぞメタルと思ったものだった。気味の悪いジャケット、髪振り乱すマッチョのギタリスト、腕にはもれなく入れ墨が入っていて、観客はスキンヘッド。

それで次の日、わたしはおっさんに正直に申告した。「去年オススメされたCD、今更になってよくよく聴いてみたんですけどね、Hallowed Be Thy Name めっちゃいいですね」。

それからおっさんは、朝の掃除とお茶出しの合間にメタルの話をしてくれるようになった。時にはバンドメンバーの変遷の話、時にはライブの話、夏には夏フェスの話、秋には Hardwired の話。おっさんは Hardwired の発売を心待ちにしていたから、 Hardwired について訊くのが礼儀だと思った。「Hardwired どうでしたか?」「よかったよ、プログレっぽくて」「へえ、プログレには興味あるのでわたしも聴いてみよう」それで現在までまだCDすら手に取っていないわたしですが、冬になったときおっさんは大量のCDを貸してくれた。ドリームシアターメタリカ。それを一生懸命パソコンに入れながら、今このブログを書いています。(いい加減明日返そう) 敬具

二歳女児に『魔女の宅急便』をみせるべきたった〇つの理由

2017年2月5日(日) 晴れのちくもり 春のような日差しの中でも田んぼの氷は融けないのでした

二歳女児に『魔女の宅急便』をみせるべきたった〇つの理由:「ラジオ」我が家にはラジオがない、ラジオを聴く文化もない。そもそもあまりラジオを聴いて生きてこなかったので必要性は高くないのだけど、自分が選んだのではない言葉や音楽が低く小さく垂れ流されている空間には憧れがある。だから春までに買おうって今決めた。春からは二歳女児も保育園児になる。今より早起きしなければならないわたしの、モチベーションになりえるか?

 

ほらご覧これがラジオだよ、キキも持ってたよね。「喋るねこ」同居のねことよく会話しているから、それが普通だと思ってほしい。「動物がよく出てくる」ねこ、牛、カモメ、カラス、犬。「乗り物がよく出てくる」列車、貨物列車、船、自動車、バス、トラック、自転車、飛行船。色もはっきりしていてきれい。あと箒。「箒にまたがって飛ぶ」。「ワンピースを着ている」突然、ワンピースがどうとか言い出したので、どこで覚えたのかと思ったらこの作品だった。「海が出てくる」。「時計塔が出てくる」時計も出てくる。意識して見ていると何時に届けるとか何時に待ち合わせとかいう会話が結構出てくる。「宅急便のシステム」娘にお届けものを頼めるようになると便利だと思う。「パン屋が出てくる」おソノさんはここでもパンを運ぶ。「絵描きが出てくる」。「ジョンが外に出たがってるからドアを開けてあげる」同居ねこのためにもこれを覚えてくれると助かる。「電話応対を覚える」。「黒は女を美しく見せるのよ」。「濡れたまま寝ると風邪をひく」。「自転車を漕ぐ」三輪車の乗り方が理解できない二歳女児に、こんなふうに乗るんだよと説明できる。「アクションシーンが豊富」空も飛べるから動きが派手。「音楽がいい」オープニングやエンディングはもちろん、劇伴も口ずさんで楽しい。「キキの喜怒哀楽がはっきりしている」わかりやすくていい。

魔女といえども外国が舞台といえども、生活感あふれる画面が楽しいんじゃないかと思う。わたしは誕生日ケーキを受け取るところはいつも涙ぐんじゃうから直視できない。明日ゲオに返してくる。

短歌の目一月 投稿します

主催者の卯野さんには毎月締切ギリギリでお世話になっております。今月はなんと締切を過ぎてしまいましたが!ひとつよろしくお願いいたします…

よろしくご覧ください。

 

 

1. 編
ついさっきひとつのパイのおはなしが終わりましたまたパイを編む

 

 

2. かがみ(鏡、鑑も可)
手鏡で青海苔チェックしただけで乱反射する朝よ希望よ

 

 

3. もち
つきもちをふたつ齧ってきみのことどれから想い出そうって思う

 


4. 立
明け方の洗濯物よ立春はすべてのものにわずかやさしい

 


5. 草
雑草を引っこ抜いて「ラピュタ」ってわらったこともあった
バルス

 

 

テーマ詠「初」
初ゆきを降らせてふたり夜明けまでつちを見なくていいとおもった

続・タイトル無題

職員だと思っていたおっさんは受付を終えるとおもむろに袈裟を着て、5分くらいの小さいお経をあげますね、といった。いい声だったので多分本職で、副業で斎場の受付をしてるんだろう。和尚兼受付兼作業員。この斎場はおっさん一人で成り立っている。お経は出だしからむせていた。「先日から急に冷え込んだでしょう、だから年を取って弱ってたりすると急にガクッといくんでしょうねえ、さっきのワンちゃんもそうだったし」急に世間話をするおっさん。「ウサギさんだと、この2番目の大きさの骨壺がちょうどいいんじゃないかなあ、これ千円です。カバーは下にある、同じく千円のが同じサイズになってます。どうしますか?」兼営業のおっさん。「亡くなったペットを火葬しないでね、皮を加工して小物にするサービスもあるんだって」小さい声で知識を披露する妹。控え室には『ペットと訪れる日本全国の宿』とか、『世界の犬種図鑑』、『ペットと過ごすガーデニングをつくろう』とか、どういう気持ちにさせたいのかわからないけど本がいくつかあったので読んで過ごした。

みかんとビスケットだけでなく、チモシーとかペレットも入れてあげればよかったかな。あれをああして、これをこうしてあげればよかったかな。しかし死んでしまった本人はもうなにか持つこともなにか感じることもなく、「あげればよかった」というのは遺された人が悔いを残さないようにするためのひと区切りなんだって、去年の夏に知ったから、後悔はしないようにした。後悔は本人のためにはならない。

ヒゲとか尻尾の毛とか、なにか残しておこうか?妹は考えて、でもそれをやめた。まるごと焼いてもらって、小さなかけらまで全部拾って持って帰って、春になったら家の裏に骨を埋める、やがてそれは裏に生えてる山椒の木の肥料となって、ワラビタタキを作るときやウナギを食べるときに一役買ってもらおうという算段なのでした。家の裏には他にも、ハムスター2匹とウサギの子どもたちがねむっている。

骨壷には犬と猫と鳥とウサギのイラストが描かれていて、すこし安心した。帰りしな、母とおっさんは領収書の宛名と振込の件ですこし揉めた。

タイトル無題

実家のウサギが月に帰ったんだってさっき妹から連絡がきて、泣いた泣いた泣きました。そもそもは昼に母から第一報、給湯室で涙をやり過ごし、思い出されるウサギとの日々。でも彼女はわたしが実家を出てから飼われたウサギだから、実際目にしたエピソードというより、みかんを美味しそうに食べたとか、みかんの汁がお鼻について拭った仕草がかわいかったとか、普段塩対応のくせに撫ででほしいときだけすり寄ってくるとか、撫でてやった後に毛繕いをするから憎たらしいとか、その毛繕いのさまを見て父親がまいど「色っぽいだろう...」と呟くので一体どんな風に見えてたのか気になったこととか、手荒くすると地団駄踏んで不満を訴えるとか、しっぽの毛が柔らかいとか、顔の模様が中心からズレてて愛嬌あるとか、夏にいる場所、冬にいる場所、ばあちゃんが描いたウサギの絵を思い出してみたり、じいちゃんはついついおやつをあげすぎる。そういう“家族とウサギのエピソード”を思い出しては涙をこらえた。こらえられなかったりもした。あの、感情が読めない目とか、決して抱っこはさせてくれなかったし、懐いてるかどうかもよくわからなかったけど、間違いなく家族だったこと、家族が欠けた喪失感に苛まれている実家のことを考えると、かなしい。

よく「虹の橋を渡る」っていうけどどうなんだろう。一目散に駆けて行ってしまうのはとても寂しいけど、立ちどまってこっちの心配をしてるようなキャラじゃなかったと思いたい。老体から解放されて、すきに在ってほしいと思う。

ウチの子が大変だったんです

2017年1月9日(月) 雨 新春祈祷にいく

ウチの子が大変だったんです。

 

順番待ちで並んでいたところであっちに行きたいと駄々をこねたので、わたしは右手でウチの子の左手をギュッと繋いだんです。ウチの子が手を振りほどこうとした時にわたしの右手にはポキポキっという感触がありましたが、それはまあ日常茶飯事だったので気にせず握ってたんです、だって振りほどいて遠くに行ってしまうと大変ですから。そうしたらウチの子は「いたい!」と言って泣き出すじゃないですか。この段階でわたしは、あ、強く握りすぎちゃったかなって、もしかしてどこか痛くしたのかなって、ちょっと思いました。でもウチの子狼少年みたいなとこがあって、大袈裟に痛がってやろう、痛いって言えば手を離すだろう、そんな思惑にまんまと引っかかった過去もあって、わたしは握る力を緩めながらも、そんなにたいしたことはないだろうって思ってたんです。でもそれは間違いでした。

泣き出してしまったので気分転換にお茶でも飲ませようと差し出すと、右手は出すのに左手は出てきません。いつもは両手で持つのに、左手は?持たせようとすると、痛がって更に泣いてしまいます。このあたりで夫が、これちょっと変だぞと、わたしもおかしいと思っていたのが確信に変わったところだったので、ちょうど順番が回ってきたところだったのを離脱して、車に戻りました。

車に乗せてもベソをかいていましたが、左腕にはなるべく触れないようにして声をかけたり気を紛らわせたりすると、痛がる仕草は見せませんでした。まず考えたのが脱臼、もしくは最悪骨折したかも...。休日診療所に向かいながら同時に電話し、もしもし、ウチの子が肩か肘か手首を脱臼してしまったかもしれません、とたずねると、ちょうど午後から外科の先生が入っているから診せに来てくださいと。その前にとコンビニでパンやお水を買って与えました。食べさせるために身体を起したりすると痛がるものの、食欲は通常通りです。涙で水分を消費してしまったのかオシッコはしていませんでしたので、水分はしっかり与えました。

さて外科の先生ですが、状況を聞き、肩、肘、手首を触って、娘はもちろん嫌がって泣きましたが、うーんこれは脱臼とか骨折ではないですね、そうだったらもっと痛がるはずですからと。そうだったら触らなくても痛がって泣き止まないはずだし、ほら、左手でモノが持ててるでしょう。そう言ってウチの子にペンかなにかを持たせましたが、先生それって持ってるんじゃなく挟んでるっていうんじゃないのか。レントゲン室はすぐ隣にあるのにレントゲン撮ろうという話にもならず、まあ週明けには整形外科の先生に診せてくださいねと言われて終わりました。先生、あの、もしウチの子の肩か肘か手首がどうにかなってるんだとして、週明けまで待ったせいで後々まで手が不自由になってしまうとか、そういうことはありませんか?ほら見てくださいよ、手首のこのへんちょっと腫れてませんか??ーーけれども先生も看護師さんもまあ様子見てって言うし、待合室には他に大勢の患者が待機してるのもわかっていたので、われわれは診察室を後にしたのでした。

ウチの子は泣き疲れて眼も半開き、そうだいつもならお昼寝の時間だ、これも眠くてグズっているだけなのかもしれない。ゆっくりお昼寝して、起きたらすっかり良くなっていたら...、しかしゆっくりお昼寝から起きても状況は変わらず、左手は下げて動かさぬまま、触ると泣く、おやつは食べる、アンパンマンは観る、そんなかんじで夕飯時をむかえ、夕飯は片手じゃ食べづらかろうからアーンしてやろうというと自分で食べるからと断固拒否、いつも通りおかわりを要求し、スペシャルデザート(みかんゼリー)に気を良くし、そしてここで最大の難関がやってきた。

風呂。二人掛かりで服を脱がせ、もちろんその間は大泣きでしたが、洗い場では気を紛らわせれば大丈夫、左の手のひらから肘にかけても撫でるように洗うぶんには大丈夫、しかし左の脇の下を洗おうとすると痛がるのでした。結局はどこが痛いの?肩なの?肘なの?見た目ではわかりません、もう泣き叫んだまま洗い流し、勢いで身体を拭いて、勢いでパジャマを着せ、そのときまた「いたい!」と叫んでましたけども、勢いで髪を乾かし、リビングまで戻ってまいりました。

泣き止むまで赤ちゃんの頃のように抱っこし、痛くしてごめんね、痛くしてごめんね、明後日お医者さん行ったら治るからねと、そこで風呂から上がってきた夫がひとこと、あれ、左手治ってるんじゃね?娘を見れば、憑き物が落ちたかのように穏やかな(もしくはいつものなにか悪戯してやろうと企んだ)顔をしており、おそるおそる左手を触っても泣くことはなく、握れば握り返してくれ、嬉しくてわれわれはハイタッチをしたのでした。

今回は肩か肘か手首が脱臼しかけてたとして、パジャマを無理矢理着せたときにはまったんじゃないかという結論。脱臼はクセになるというから腕をムリにひっぱるのは気をつけようという教訓。でもイヤイヤ期が始まった娘をコントロールするのは大変だよねという共通見解。そんな仏滅の日曜日。翌日娘はソファから転げ落ちて頭をぶつけ、だからソファのうえでは立ち上がるなどいってるだろうがと言えば「なんで?」「どうして?」、つまりなぜなぜ期が始まったみたいで、もう知らんといったかんじです。