今日はトンボが多かった

2019年9月26日(木)晴れ

客の家に届け物をしに行くとばあさんが出てきて玄関先で対応してくれた。その家の玄関には嵌め殺しの小さな窓があって、窓辺にはちょっとした雑貨が飾ってあった。雑貨のひとつに大きなトンボがあって、げぇっ、と思ったけど大人なので顔に出すのは堪えた。それから怖いもの見たさでしげしげと観察する。作り物ではなく本物のようだった。(こいつ死んでるよね…?)、羽根の付け根のモフモフ部分が毛羽立っていかにも傷んでますというふうだったが、それ以外は眼も羽根も胴体もきれいなトンボだった。このトンボどうしたんですか?、ばあさんに聞くと、「庭の池で孵ったやつがフラフラと家の中に入ってきて、そこにとまったと思ったらそのまま死んでしまった。飾るにちょうどよかったからそのままにしている」とのこと。あぁまぬけなトンボ、その水色眼鏡に青いお空を映しても嵌め殺しの窓から外に出ること叶わなかったのか。もしくは生まれ育ったこの家を死に場所に選んで戻ってきたのか……、などと感慨にふけっていると、「おい、じじ!」、ばあさんが外に向かって大きな声をあげた。「朝からごはんも食べないで外に出てはだめ!すっかり呆けてしまって!」ちょっと呼び戻してくる、と言うとばあさんは、じいさんが歩き回る庭先に出ていった。

じいさんを無事に連れ戻してからばあさんが言うには、「最近すっかり呆けてしまって毎日あんなふうだ。だけど身体は丈夫なのでまあ助かっている」。部屋の奥に引っ込んだじいさんをみながら、わたしは、玄関先で死んだトンボのことをおもい、じいさんとトンボの間に相関関係はあるのかなとか考えた。

(˘ω˘)

2019年9月23日(月)フェーン現象で蒸し暑く、夜は嵐

子と一緒に寝室に入るも布団は敷かってなくて、眠い眠いクソ眠い、クソネミ共和国だぁと言いながら毎晩布団を敷く。子が素直な声で「クソネミ共和国ってぇ?」と訊くので「クソ眠い王子様とかお姫様がいる国だよ」と教えた。すると最近は布団を敷く傍らで「クソネミ共和国のお姫様よ」とか言いながらパジャマの裾を持ち上げて姫ポーズしてたりするので可愛い。こんな国でもお姫様になりたいなんてやっぱり女の子だな、と思ったりする。ただしクソネミ共和国の姫のくせに寝付きはよくなく、横になって電気を消してもいつまでもごちゃごちゃと話しかけてくる。大臣のほうが早く寝る。

無題

2019年8月27日(火)晴れ かわいた風

同じ時期に購入したふたつの物品のうち一方がもうすぐ壊れそうで買い替えようと思ってるうちに、もう一方がなんの前触れもなく突然壊れてしまうこと、ありませんか。さらに追い打ちをかけるように「もうすぐ壊れそう」だったほうもついに壊れてしまうの。そんなわけで入社する前からずっと使っていた電卓が突然壊れてしまったので先日買い替えた。職場で愛用しているマグカップもなんだか挙動がおかしいので不安。もうすぐじいちゃんとばあちゃんの一周忌だ。

 

 

今の部署に配属になって5年近く経つ最近になって最短の通勤ルートを覚えた。それでいくと職場と我が家の間に信号機が10個あった。どうせ赤信号に引っかかるなら最短もくそもないだろうと思っていたのだが、先日青信号の数をかぞえながら帰ったら9の信号が青で、ほんとうに早く帰ることができた。

信号機が10個あったら全部ではないにしろ5から6は赤信号なのが我が人生だと思いつつ、いやいや考えすぎよ、信号機って交通管理センターのようなところで制御されて、渋滞が起こらないように絶妙にコントロールされているんだわと思っていた。だから「ここに来るまでの信号が全部青」みたいな"偶然"はないんだと思っていたのに、偶然はあり得るし、そこで「全部青」を引き当てられないのがわたしだと突きつけられたような気もした。

そんなことを考えつつも、たかが信号機で人生占ってたまるかとも思う。でも考えちゃうよね、通勤中はヒマだから。青信号の数をかぞえながら帰る癖がついてしまった。

小噺をひとつ

2019年8月21日(水)晴れ

盆を過ぎた頃から日が落ちるのがめっきり早くなったでしょう、最近じゃちょっと残業すると帰る頃にはもう真ッ暗。こんなときに秋の訪れを感じます。

さあ、暗くなった帰り道、田んぼ道を運転していると向こうから人がやってくる。ジョギングしてるんですね。ああ、涼しくなったなあ、ジョギングも気持ちよさそうだなあ、そんなこと思いながらすれ違う。もちろん彼と接触しないようにスピードを落とすんですけど、道は広いし彼のことよく見えてるからまあ安全なんですね。しばらくすると次のランナーがやってくる、そのうしろからウォーキングの女性も歩いてくる……。そこでわたし、アレ、と思いました。あとからすれ違った彼ら彼女ら、もちろん反射板をつけてたから気づくことはできたんですけど、そうじゃなかったらあたりの暗さにすっかり馴染んで気づかなかったかもしれない。でも、じゃあ、最初にすれ違った彼はなんだか明るすぎじゃなかったか。思い返せば彼は反射板のようなものは一切身につけていなかった、それなのに遠くからでもわかるくらい明るくて、だから避けて走ることができたんですね。そのときにチラッと見た彼の顔、そういえばなんだか目が光っていた気が…。それに彼自身もこう、発光するように光っていた気が……。

そこまで思い出したらサーッと涼しくなって、これ秋のせいですかね、それで急いで車通りの多い交差点に向かったんで。この話はこれで仕舞いです。

特に命日とかじゃないけど思い出したから書く

2019年7月22日(月)くもり時々はれ 油断すると暑い

去年の秋、じいちゃんとばあちゃんが死んだ。哀しいし寂しかったけど、大往生だったし二人連れ立って旅立ってくれたので親族一同和やかに見送ることができた。

さきに体調を崩して入院したのはじいちゃんだが、さきに死んだのはばあちゃんの方だった。ばあちゃんの臨終間際はじいちゃんも別の病院からかけつけた。ほんとうに間際だった。間に合ってよかった。よかったのかどうか、本当はじいちゃんの負担だったのかもしれないが、じいちゃんも死んでしまったのでわからないな。とにかく家族みんなで見守った。わたしはずっと、ばあちゃんの手を握っていた。わたしの手はいつでも温かいから、熱は移ってばあちゃんの掌も温かかった。遅れて到着したじいちゃんに「じいちゃん、ばあちゃんの手を握ってやって」と握らせると、じいちゃんは「おぉ、まだ温かいっちゃや…」とばあちゃんを励ますのだった。でもそれは実はわたしの熱だ。温めていないとばあちゃんはすぐにつめたくなった。じいちゃんに、まだばあちゃんが温かいうちに間に合った、と思わせてあげられてよかったと思う。

ベランダがあります

2019年7月8日(月)晴れ 七夕から一夜明けた今日のこと

先日、客の家に行ったらそこんちで車庫と呼ばれる建物が我が家くらいの大きさでなんかかなしかった。夕方だったので奥さんが台所で肉を焼いていた。牛肉の匂いだった。そばのダイニングテーブルには中学生くらいの息子が座っていて、奥さんと部活の話をしていた。夕方に家族が家にいて夕飯の準備ができる奥さんのことをわたしはうらやましく思う。しかも夕飯は牛肉だ、平日なのに。

客の家の車庫にベランダはなかったが我が家にはベランダがあります。今までは物干し場としてしか使ってこなかったけど、ここにすのこを敷き、座椅子とテーブルを置いたら素敵なんじゃないかと考えている。高さのある椅子だと近所から丸見えだから座椅子だ。夜、子どもを寝かしつけたわたしはベランダに這い出して、音楽を聴いたりスマホを見たりする。なにかのきっかけで近所の人が我が家のベランダを見たとき、スマホの明かりがボンヤリとそこにある(怪しい)。

無題

2019年5月26日(日)晴れ 扇風機出した

仲良くなった同期のmixiミクシィ!)を教えてもらったとき、『趣味:妄想』て書かれてたことがあったっけな。趣味妄想ってけっこう聞くが、どんな妄想ですか。わたしはそれを妄想する。

きょう車のタイヤ交換に行き、スタッドレスから夏タイヤに替えてもらった。待ってる間に店内を眺めていると、小さなガラス細工がいくつか飾られてあることに気づく。「もし、わたしが、受付のスタッフさんと秘密の恋をしていたら…」、友人とちょっとした日帰り旅行に行った先でちょっとしたガラス細工をこっそり購入し、この秘密の恋人に渡す。恋人はひそやかに喜んで、店内のガラス細工にまぎれこませるようにしてわたしのお土産を飾るのだ。そして日々の仕事をこなしつつ、ときおりガラス細工たちのなかからわたしのあげたものを探してください。やがて雪の降る頃わたしはまたタイヤ交換に行く。そこで待たされている間に例のガラス細工をみつけて、「あ、これまだ飾ってくれてたんだ」と思う。「次のシーズンはスタッドレスタイヤの購入を検討してください」と店員は言った。

帰宅してミニトマトを点検する。第一花房には小さな実がふたつ、花がたくさん、第二花房にもいくつか花が咲きはじめていた。順調だが、葉に勢いが感じられずすこし心配だ。ミニトマトは毎年プランターに植えているが、大収穫は最初の年だけで、あとはたいがい枯れてしまった。水のやりすぎが原因だった年と水不足で枯らしてしまった年が交互にある。去年の実績からいくと今年は水のやりすぎでだめにしてしまう年なので、水はあげすぎないように気をつけていた。水やりは土がカラカラに乾いてからで充分、と同僚が教えてくれたので土の状態をチェックしているが、これがなかなかどうして乾かない。毎日こんなに暑いのに!もしかして誰かが勝手に水をかけてくれているのかも、とハッとした。プランターは通りに面した庭先に置いていて、すぐ近くに水道もある。うちの前を通るたびに元気のないミニトマトを目にする通行人が憐れんで、水をかけていくのかもしれない。柵とか立看板(水をあげないでください)とかしたほうがいいのかな、と思ったとき、かくてもあられけるよ、と斉読した高校の授業風景が蘇った。