前世について

2015年3月25日 晴れ まだまだ風が冷たい

娘が喋れるようになったとき、前世の記憶を話し出したらどうしよう。ちょっと楽しみである。しかし前世がヒトだったとは限らない。動物、植物、細菌類、ミジンコその他大勢の生き物、だったとしたら、そしてその記憶があるとしたら、我々になんと言って説明するのだろう。前世の時点では、説明する“言葉”は持っていないわけだけど?「前世がサカナだったらさ、ほら、水泳が得意な人とかいるじゃん、ああいうふうになるんじゃないかな」とわたしは提案し、夫も納得した。「実際そんなこと言われてる人もいるしね、足が速いからあんたはチーターの生まれ変わり、とか」。

では、現在の研究ではまだ発見されていない生き物が、現世でヒトとして生まれ変わっていた場合は?前世の記憶はあるのに、現世で説明する“言葉”がみつからないとしたら、前世のことをどのように表現するのだろう。ここで我々は一つの結論に辿りついた。この場合、前世の記憶としてではなく、超能力としてその特長を発揮できるのではないか。現在のヒトには研究されている範囲でしか能力の概念がないから、その能力の外に現れる現象は超能力と呼ぶしかないのだ。

この結論には我々二人とも納得し、スッキリしたところで、夕飯の支度が終わった。生物学も宗教もスピリチュアル的なことも無知であるが、非常に無駄で有意義な議論ができたと思う。