こんな時間に蛍光灯の下にいる

2015年10月28日 雨 昨日よりは寒くないかも

こんな時間に蛍光灯の下にいる。最近は娘と一緒に21時過ぎには就寝しているのに、今日は久しぶりに生け花のお稽古に参加したから、娘の寝かしつけは夫がしてくれた。と思う。二人が今どうなっているのかは知らん。

本当に久しぶりのお稽古は基礎からなにからすっかり忘れていた。出来上がりを先生に見てもらったところ、先生は一度すべてを剣山から引き抜きそして活けなおし、そこにわたしの感性とやらは跡形もなかった。迷いなく活けなおしていく先生の手元をみながら、育休中毎日見ていたヒルナンデスの植松晃士のファッションチェック、あれはおブスファッションをモテファッションに変身させる際に対象者の衣類を一切生かさず丸ごと着せ替えたりしてまったく意味がないと思っていたことなどを考えていた。先生の作品は花があるべき場所にきちんとハマっていて、花が「生きて」いることをきちんと感じられた。そもそも元は生きていた花をちょん切ってわざわざ窮屈な花器に移し替えるということは、「生きていた」とき以上の生命力を感じさせる活け方をしなければいけないのだ。そんなこと考えたのは今日が初めてで、これも一年近くのブランクのおかげかもしれない。とはいえそんな真理(?)にたどり着いてもそれを表現する手段はまだまだ未熟で、このまま来週の展覧会に突入すると、また先生からおブスの烙印を押され全身着せ替えされる羽目になるだろうと思う。