好きな季節があるということは日々の暮らしを豊かに以下略

2016年2月7日 晴れときどき雪 せっかく天気が良かったのに一日中家の中にいてしまった後悔

きょう自覚した、わたしは春という季節が好きだ。春そのものというよりは、冬から春に向かって徐々に解放されていくこの感じ、が好きだ。いったいなにから解放されるのか、一例を申し上げますと、日の出は早く日の入りは遅くなる。起きたときにもう部屋の中が明るい喜び、仕事帰りの空がまだ明るい喜び、夕焼けだって見ることができる(こともある)。それから寒すぎる寒さに身を竦めることが少なくなって、ちょっとした外出ならコート無しでもぜんぜん行ける(こともある)。暴力的暴風が少なくなって、風は「そよそよ」という効果音にかわる(こともある)。雪から雨にかわる(こともある)。朝雪かきをする必要がなくなる(こともある)、ばかりか、雨が雪解けを促進する。土が見えると肥やしのにおいが漂いはじめる(くさい)。そういう春の気配を、少しずつ、ほんとうに少しずつ感じられる、この2月が好きだ。
暦の上ではもう春ですがまだまだ寒いが続きますとはよく聞く言葉だけど、今年の立春はちゃんと機能していると思う。そもそも今年は寒の入りから真面目に機能していて、それまで冬じゃないみたいに雪が降らなかったこのあたりもしっかりと冷えた。ちなみに冬至はあまり真面目に機能しなかった。寒さの底からの脱出はわくわくする。三寒四温、時に寒に戻ったかのように冷えることもあるけれど、焦らしプレイだと思って待つこともできる。そんなふうに2月の頭っから少しずつ迎える春だもの、ふいに桜が咲いたら気持ちがどこかに行ってしまうのもわかる。だから春に変質者が増えるというのもわかる、わかるよ。
つまり、数年前からなんとなく春、春ってそわそわすると思っていたけれど、その始まりは2月の立春だった。わたしの好きな季節は晩冬そして春、それを自覚する。明日から、いや「今日からわたしの好きな季節!」それならちょっとはうきうきしようかな、という気にもなる。うきうき。日常が豊かになるってこういうことかもしれない。