「母さん、どうしたの?父さんの部屋」
キッチンに降りていくと母は餃子を包んでいるところだった。ボウルの中に挽肉とピーマンが見える。ピーマン入りの餃子は父の好物だった。
「どうってことないわよ。ただなんとなく、父さんがふらっと帰ってくる気がしてね」
父の部屋の真ん中には、イーゼルと絵の具と、キャンバスがセットされていた。
三年前の夏に家族三人で海に行った時、父はビーチパラソルの下で微笑みながら、賑やかな海の様子をスケッチしていたっけ。キャンバスにはその時のスケッチが、途中まで描き写されていた。
正直いうとわたしは、こんなことしても父が戻ってくるわけないって思っている。けれどそれで母の気が済むなら…
「それで母さんの気が済むなら好きにすれば、とか思ってるでしょ」
餃子を包み終えた母がこちらを向いて笑った。
「でもね、母さん信じてるんだから。あのキャンバスの絵、少しずつだけど描き進められているのよ。一昨年は青い海しかなかった、去年はそこに母さんが加わった。今年はどこまで完成させてくれるか、楽しみじゃない」
「うん、それなんだけど…」
おお、言い出しにくい。だけどわたしは母の目を見て言った。
「父さんの趣味は水墨画じゃん。あんな風に絵を描きたがるとは思えない」
その途端、母はヒュッと短い声をあげて、消えた。
「やれやれ、今年も終わったか」
わたしは父の部屋に入ると絵の具を手に取り、キャンバスに父さんを描き加えた。それからキッチンに戻って、ピーマン餃子を焼いた。三人分のピーマン餃子を一晩で食べきれるはずもなく、わたしはしばらくこればかり食べることになる。
2016年8月20日(土) 晴れ シーツがよく乾く午後
ひるねをしながらそんな夢を見たのさ。