一歌談欒 vol.3 参加します

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一歌談欒Vol.3 - 人生ぬるま湯主義

 

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい(笹井宏之)

 

静かなところで暮らしたいと思った。
「都会の喧騒から離れて」なんていうほど都会でもないこの街の、この窓から見えるあの森は静かなんだろうか?、いやあれは森というより山だ。鬱蒼と茂る木は急勾配を駆けあがり、トンネルをくぐる国道があって、合間には林道や田畑が整備されていることを知っていた。山は、静かではない。逆にさ、ハンパな田舎よりも都会の方が、森みたいに緑が広がってたりするもの、上野公園とか...。上野公園には行ったことなかったけど、山よりは森に近いのではなかろうか。けれどやっぱり、うるさそう。
“森”っていったらこのイメージなんだよな。イヤフォンからはサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」が流れている。この曲は北欧の森を想わせる、北欧には行ったことなかったけど。

静かなところに住んでいるとして、と想像する。木のほかなにもない(北欧の)森に一つだけ家があって、そこでの暮らしは自給自足。水を汲みにいき、木を切って火を焚き、畑を作って食べるものを手に入れる。静かに暮らしたいのだから、動物性タンパク質のことはこの際あきらめる。だけど、自分は自給自足の生活をしたいわけではなかった。静かに、静かに暮らしたい。できることなら汗を流したくない。だから決めたのです、人に頼めるものは頼んでしまおう、と。
どこからか労働者を連れてきて、あなたは水汲み、あなたは薪割り、あなたは畑を耕して、とお願いする。作業をするときはこの軍手を使いなさい、無理をして体を壊さないようにね。報酬なら弾みます。わたしにはうなるほど金がある。あなたたちに軍手を売って、築き上げた財産が。
彼らは大変よく働く、けれどもやはり少しうるさいので、仕方がないから家の壁を厚くした。さあ環境は整った。静かな静かなこの森の、この家の中で、一体なにをして暮らそうか。

もしくは。

目線を、あの山より少し手前に移す。去年、大型ショッピングモールが撤退して廃墟と化したあの建物、来月から取り壊しが始まると聞いた。あそこになにが建つんだろう。しょうもないパチンコ屋とかだったらどうしよう。「老人ホームが建つんだって」隣で妹が言った。老人ホームかあ...あーあ。なにかの間違いで、図書館でも建たないだろうか。「図書館?あるじゃん、市立のが」違うのだ妹よ。隣町の市立図書館は確かに立派な建物で、老若男女の知的好奇心を満たしてくれるのだけど、そこに静寂はないでしょう。絵本を読み聞かせる母親の優しい声とか、学生が消しゴムを落とす音、おっさんの咳払い、新聞をめくる音、受付カウンターの端末操作音、そういうのは一切いらない。自分以外が生きている音は、いらない。「そんな図書館あるわけないでしょう」ないなら建てるまででしょう。ああ、なにかの間違いで、あそこに図書館でも建たないかなあ。本に囲まれた静寂。静寂に囲まれた本。この図書館で、一体なにを読もうか。

 

 

“森で軍手を売って暮らす”ことと“図書館を建てる”ことは「静寂を求める」という意味で同じかなと思いました。自分一人の空間を欲すること、ひいては自分以外の存在を認めないこと...。けれどもそうやって創りあげた空間でなにをしたかったのか?までは思い至らずでした。なにもしたくない、「無」になりたい、そんな思いもあったのでしょうか...。