タイトル無題

実家のウサギが月に帰ったんだってさっき妹から連絡がきて、泣いた泣いた泣きました。そもそもは昼に母から第一報、給湯室で涙をやり過ごし、思い出されるウサギとの日々。でも彼女はわたしが実家を出てから飼われたウサギだから、実際目にしたエピソードというより、みかんを美味しそうに食べたとか、みかんの汁がお鼻について拭った仕草がかわいかったとか、普段塩対応のくせに撫ででほしいときだけすり寄ってくるとか、撫でてやった後に毛繕いをするから憎たらしいとか、その毛繕いのさまを見て父親がまいど「色っぽいだろう...」と呟くので一体どんな風に見えてたのか気になったこととか、手荒くすると地団駄踏んで不満を訴えるとか、しっぽの毛が柔らかいとか、顔の模様が中心からズレてて愛嬌あるとか、夏にいる場所、冬にいる場所、ばあちゃんが描いたウサギの絵を思い出してみたり、じいちゃんはついついおやつをあげすぎる。そういう“家族とウサギのエピソード”を思い出しては涙をこらえた。こらえられなかったりもした。あの、感情が読めない目とか、決して抱っこはさせてくれなかったし、懐いてるかどうかもよくわからなかったけど、間違いなく家族だったこと、家族が欠けた喪失感に苛まれている実家のことを考えると、かなしい。

よく「虹の橋を渡る」っていうけどどうなんだろう。一目散に駆けて行ってしまうのはとても寂しいけど、立ちどまってこっちの心配をしてるようなキャラじゃなかったと思いたい。老体から解放されて、すきに在ってほしいと思う。