さあさあ産休だ

2021年2月6日(土)くもりときどき雨ときどき晴れ

人事担当者の指示通りに”産休取得日は令和3年2月6日(土)から”と記入して提出したら後日電話がかかってきて「産休は7日からでした」と訂正させられた。どっちでもいいよ、今日からおやすみです。

前回の出産時も「せめて産前は休み倒すぞー」と気合を入れたはずなのにあっという間に出産となってしまって、周りから羨ましがられるほどにはゆっくり休んだ気がしなかった。今回もそんな気がするのであらかじめ気合を入れておく。少しでも有意義に過ごせるように、明日になったら計画を立てる。

 

腹の子がよく動くので、腹に手を当てて「いまここが動いてるよ」とか「このでっぱりは膝かな、肘かな」などと過ごしているとき、急に途方もない不安というか悲しみを感じることがこの半年で何度もあり、とくにこの一か月は多かった。それは隕石による地球滅亡の予感のようでもあり、家族の誰かに万が一のことが起こってしまうことへの恐れのようでもあり、小さかった頃のよく晴れた日曜日の早朝に布団の中から天井の女の人の顔の形の染みをみながら「なんだか悲しいな」と考えていたときのようでもある。でもこの不安はそういうスピリチュアルな意味を持つものではなくて、同僚への仕事の引継ぎ、出産準備、出産時や産後の体の痛みとか、新生児に対する育児の不安、お姉ちゃんになる子へのフォロー、卒園、入学、PTA、家計の収入の減少、職場復帰、……そういう現実的な問題への漠然とした不安なんだろうな、と思ったら少し楽になった。ひとつひとつに対してではなくて、それ全体を山のように大きな一つの気がかりと捉えてしまうからよくわからず不安になるのだ。そうかわたしはそういう人間だったのか。だから不安感は不安感のままにやり過ごしてみることにする。とりあえず、休みになった途端に「仕事の引継ぎへの不安」は消えてしまったのでよかった。月曜日以降は出勤することもないのだし、考えてもしかたあるめえ。しかし今はそのように考えることで楽になったが、産前産後にこの不安が襲ってきたらと想像すると、メンタルがどうにかなってしまうのもわかる気がする。わかる気がする、ということを覚えておきたい。