万年筆を買いました

2017年9月17日(日)台風がくるぞー

人生で初めて万年筆を買いました。意図しないタイミングでネットに流れてくるその紹介記事がわたしの深層心理に「万年筆」を積もらせていったのでしょうか、ある日の仕事中に急に字を書くことが楽しくなって、あ、今日万年筆買おう、てな具合で帰りに近所の文房具屋に寄って万年筆を買いました。

 

 

 家ではゆっくりひろげる時間がないので(夜9時を過ぎるとどうしようもなく眠くなる)、会社に持っていきました。職場のほうが自分の時間が取れるのか、そもそも仕事中にヒマなのか?ヒマじゃないけど同僚の女の子に声をかけて、開封の儀に立ち会ってもらいました。彼女は前職販売員で、お客様へのアフターフォローとして万年筆でお手紙書いてたんですよ、本日はご来店いただき云々、その話はこないだも聞いたしその前も聞いた。万年筆が好きと言っていたのでクリスタルのカクノを見せたら目を輝かせておった。これ7月に出たばっかりの新色なんだってかっこいいでしょう、とわたしが威張れるのはここまでで、ケースから出したばかりのカクノを前にしてわたしは途方に暮れた。インクどうやって入れるかわからない。彼女が軸を回してペン先を外してくれたので、わたしはおそるおそる、付属のカートリッジをつっこんだ。こういうの力込めすぎてダメにしちゃうタイプって自分のこと知ってるから、なるべく慎重におこなった。カートリッジがカチンといったとおもうと中のインクが動き出した。うお、これ液体なのか、固形だと思ってた。彼女は隣であははと笑っていた。

初めての万年筆でなに書こうか、まずは自分の名前かしら、それとも好きな歌でも書こうか、とすこしわくわくしていたのに、気がつくと社内は忙しくなっていて、わたしが初めて書いたのは客の婆さんの名前だった。古紙パルプ配合率70%のやしまRだった。M(中字)は思ったより太くて、なにより万年筆というのは書き味がトゥルトゥルだった。戸惑う間にもインクは70%の古紙に吸収されていき、わたしは追われるようにして婆さんの名前とそれに関するメモを書き終えたのだった。

万年筆をはじめて使ってみてわかったこと、書き味がトゥルトゥルだということ。わたしはゲルインキのボールペンがあまり好きではなくて、どこかの企業ロゴが入った油性ボールペンのガリガリした書き心地を愛している。万年筆ではその感覚は得られず想像以上に滑らかな書き心地に焦ってしまったが、でもゲルインキのボールペンとは違うとは感じる。ペン先の構造の違いなのかな。いまのとこやしまRのにじみ具合は好印象だった。裏写りするけどな!

業務終了間際に書類をチェックしていた上司から声をかけられ、あれ、今日の字なんか変だぞ、小学生が覚えたての字を書いたみたいだぞ、と言われました。万年筆って事務仕事には向いてないのかな、と。

 

がんばって作った弁当なのに写真撮り忘れるなんてあるある

2017年9月5日(火)晴れ 遠足

こんな時間にというかもはや食後一時間くらいですでに腹がへってしまったのは夕飯が限りなく質素だったからで、夕飯が質素だったのはそれ以前の昼、朝、それから前日の夕飯までも唐揚げ~でちょっとしばらくお肉と油はいらないよっと家族の総意が形成されていたからだった。今日は遠足だった。

人のために弁当を作った。自分のためにすら弁当を作らないわたしが、たぶん初めて作った。8月の下旬頃から弁当どうすると考え出し、弁当箱を買いに行き、だけどやっぱり家にあるタッパーでいいやどうせたまにしか使わないんだし、タッパーみっつ用意して、ひとつは唐揚げと玉子焼きとウィンナー、ひとつはミニトマトブロッコリー、ひとつは果物、あとおにぎりでどうでしょう?と先輩方に聞いたら、先輩Aはアスパラベーコンやちくわチーズやコロコロおむすびを提案してくれたし、先輩Bは「弁当の中身なんてどうだっていいんだ、外でおいしいって食べることが重要なんだ」と教えてくれたので、Bの方でいくことに決めた。「おにぎりも、でっかく握ったやつにかぶりつくのが好きな子と、コロコロおむすびをつまむのが好きな子がいるよ」あ、うち前者のパターンです。

日曜日に買出しに行き、鶏もも肉500g500円、弁当用ウィンナー(赤い)、卵、ブロッコリーミニトマト、リンゴと梨を買う。おむすび山も買う。内容が荒いぶんせめて見た目をかわいくと思って、100円ショップでピック、おにぎり用ホイル(動物柄!)、アルミカップ、ディップカップ、バンダナを3色購入した。

日曜日の夜に鶏もも肉を唐揚げだれに漬ける。月曜日の夜にそれを全部揚げて、夕飯で半分食べ、残りは冷蔵庫にしまった。米は3合研いで朝に炊き上がるようセット。そして今日、冷蔵庫から唐揚げを出してトースターでしばし炙った。フライパンで卵4つ分の玉子焼きを作り、そのあとウィンナーを炒めた。ブロッコリーは沸騰したお湯にしっかり塩を加えて2分強茹で、茹であがったらザルにあけて常温で冷ます。ミニトマトは大きかったので半分に切った。リンゴと梨はひとくちサイズに切った。米におむすび山を振りかけておにぎり10こくらい作る。できたものからタッパーに詰めて、余ったものを朝ごはんに食べた。

弁当にピックを刺して、タッパーにふたをする。おかずタッパーは赤のバンダナ、果物タッパーは黄色のバンダナ、おにぎりはちょうどよい塩梅のかごに入れて黄緑のバンダナで包んだ。なんてフォトジェニック。保冷剤と一緒に保冷剤バッグに入れる。ここまでで2時間は遅いのかそうでもないのか、わからぬが時間通りに出発することができたからまあよかった。

お弁当はおいしかったからさらによかった。

娘はうまいうまいといって“でっかく握った”おにぎりにかぶりついてばかりで腹がふくれてしまったので、次回はコロコロおむすびにしてみようかなと反省点はそれだけです。はらへった。

短歌の目8月 投稿します

夏のあいだじゅう材料を集めたつもりだったのに、組み立てる頃には秋になってしまった現象。毎月ギリギリの投稿です。今月もよろしくご覧ください。

 

 

 

 

1. 流
この夏のどこかに流れるはずだった水はしぼんだヨーヨーのなか

 

2. 囃
三十五度八分の體温計のアラーム 祭囃子の笛の甲音

 

3. フラット
明石よりみっつフラット 農協の時計は軽油を喰っておごそか


4. 西瓜
夏の子らすぐかわくのであたらしいあたしらしい西瓜ほしいか


5. こめかみ
氷ばかり噛みくだくきみのこめかみに浮いた花びらしまっておいて

 

テーマ詠「怪談短歌」

まだなにも知らない街にも祭りがあり誰かがおどる盆踊りがある

 

今はまだ遠巻きにして見る阿呆 身体揺らして息子の無邪気

 

この街のこの輪の中に入れたらすこしは好きになれるだろうか

 

気がつけば輪の中にいる息子 その踊りはなんだ おまえはだれだ

たとえば重い机をひきずったときのような

2017年8月7日(月) こちらは台風前前前夜

映画『君の名は。』観た。初見だったがあらすじはほとんど知っていて、だけど隕石衝突の場面は心にくるものがあり、町中にサイレンが鳴り響いて防災無線が繰り返されるさまは身近な災害を連想させた。たとえ犠牲者が出なくたって町は壊滅じゃないか、町の人は集団で都内のどこかに(おなじ街のおなじマンションなんかに)避難してきたんだろな、身の回りのものは何も持たずに、置いていかれたペットたち家畜たち…、などに想いを馳せてしまい、終盤はあまり集中できなかった、おかしいね。物語前半はあんなにノリノリだったくせに、途中で空気がザッと変わった、それが最後に再びサッと変わって、そこについていけなかった感ある。エンドロールのあと夫をみたら、彼は泣いていた(要所要所で感動したといっていた)。RADWIMPSよかったね。たぶん繰り返し観たくなる映画だ、といっていた。さて、今のうちに購入してしまうのと毎回ゲオで80円で借りてくるの、どっちが得だろう?

 

 

6月頃やっと保育園に慣れてから笑顔でいってきますができるようになった娘だが、最近は園の玄関で靴を履き替えなくなってしまった。できないんではなくしないのだ。母と離れたくないのはわかる。けれども玄関先で15分も履くの履かないの押し問答し、仕事に遅刻するかもという焦りと、「はやく履かないと天狗が来るよ」などとさんざん脅しまくって可哀想かなという気持ち(効果はない!)、ほかの保護者からどう見られてるんだろうという自意識(ムダなというのは存じております)、ここが家ならちょっと大声出して叱ってみるし、外出先なら泣こうが喚こうが抱きかかえて無理矢理連れていくことも出来ようが、保育園だし毎朝笑っていってきますしたいし、などとひとりでイリイリしているとよそのお友達とお母さんがきて、「あら~娘ちゃん靴が履けないのね、一緒に応援してあげる、ほらがんばれがんばれ」と言われると娘はすぐに靴を履きやがって、そのお友達と手を繋いで走っていってしまった。わたしはなんか情けなくって、もうその場でコンタクトがずれてしまったよね。そのお母さんの顔も担任の顔もろくに見れないまま園を出て、通勤の車の中で盛大にコンタクトがずれた。そんなかんじで先週の水曜の午前中わたしはとっても落ち込んでいて、たとえば同僚の何人かは朝から機嫌が悪くこちらがなにか聞く前に「今朝は子どもと喧嘩してきた、ああイライラする」と言ったりするけど仕事場では切り替えろよな、と思ったこともあったけど、それってこういうことだったんだ、全然気持ちが切り替わらなかった。

昼休みは珍しく先輩と二人きりで、よく喋る先輩だから息子の部活の話題などをふると案の定よく喋った。けれどもその話を掘り下げていくと、息子は部活の顧問と相性が悪く過小評価を受けているようで悔しい、みたいな流れになって、えっ先輩ちょっとコンタクトがずれてる? そこでわたしは話の舵を大きく右に切った。

子どものことで心が動いてしまったり、たとえ他人の前でコンタクトがずれてしまったって、それはしょうがないことなんだ、重い机をひきずったときのようないやな手応えと疲労感があったとしても、それも日常なんだ。

次の日は無理矢理靴を履かせるという強硬手段に出たので娘は園の玄関先で突っ伏して泣きわめき、困っていたところに担任が通りかかって「あとはいいのでお母さん仕事に行ってください」と言ってくだすったので助かった。園の玄関で転がって泣き喚く子どもは今まで見たことなかったので動揺して、ちょっとコンタクトずれそうになった。子どもが泣いたまま先生に引き渡したらなんか悪い気がしてたけど、先生の対応が温かくてそこでコンタクトがずれた。

その次の日は、もうギリギリまで付き合ってやるぞと楽な気持ちで向かったところ、あんがいすんなり靴を履いてゴキゲンでいってきますができたので、もうなにが正解かわからない。この日コンタクトはずれなかった。

好きなアイスの味は

あるときから夫がbacknumberを聴きはじめ、茶の間のスピーカーからやたら未練がましい歌が流れてくるようになった。「ちょっと、なんでこんなもの聴くようになったのさ??」ひとの音楽の趣味にケチをつけるのはお行儀の悪いことだけど、わたしと彼のあいだではゆるされている。夫曰く「こういう曲を聴いてると、なんか大学時代を思い出して、なんか、いいなって」。大学時代っておまえ、当時はこういう音楽は恥ずかしくって聴いてらんないって、言ってたのに、言ってたのに…。「大学時代に聴いてたっていうよりは、大学時代の気持ちを思い出せるってかんじかな」。そんな女々しい時代を過ごしていたのだろうか(そうはみえなかったけれども)。未練とかいっぱい抱えていたのだろうか。気づかなくって、ごめんね。わたしはそれ以上なにも言わなかった。
backnumberにハマった夫は手っ取り早くベストアルバム『アンコール』を入手して、毎回一曲目の「高嶺の花子さん」から聴き始める。ああまたこの歌か。しばらくすると大正義・娘がこれを覚えて「むすめちゃんバックナンバーだいすき」と口ずさむようになったので、わたしまで歌詞を覚えるはめになった。それで、聴けば聴くほど、歌詞を読み込むほどに、あーわたしはこの歌がいやだ、というかこの「僕」がきらいだ、と思ってしまって、そう思わせる魅力がこの歌にはある。

君の恋人になる人は モデルみたいな人なんだろう
そいつはきっと 君よりも年上で
焼けた肌がよく似合う 洋楽好きな人だ

「僕」は劣等感まみれで消極的なくせにこういう妄想ばかり捗っているところがきらい。彼女の表面だけを読み取って勝手な恋人像を仕立て上げ、自分はそれに当てはまらないからと勝手に落ち込んで、万が一にも恋人同士になることができても「君はそんな女の子じゃないと思ってたのに」と簡単に言ってしまいそうなところがある。逆に彼女のほうから「あなたってそんな人じゃないと思ってた」と言われようものなら、どうせ君だってモデルみたいに背の高い年上で洋楽好きな男が好きなんだろ僕みたいなやつなんかいやなんだろ、とまくしたててしまいそうなところがある。

キスをするときも 君は背伸びしている
頭をなでられ君が笑います 駄目だ何ひとつ 勝ってない
いや待てよ そいつ誰だ

想像の中でさえその恋人役は自分ではない。第三者を恋人役にしてしまって、誰かとイチャイチャする「君」が見たいの、もしかして?もはや「君」は鑑賞の対象だ。

真夏の空の下で 震えながら 君の事を考えます
好きなアイスの味はきっと

好きなアイスの味はきっとバニラだと思う。こいつは「君」がバニラアイスを舐めるところを想像していると思う。

ところでこの歌は曲も良くて、歌謡曲みたいなイントロからサビまでひと息にいけるところがすき。サビのメロディの音を確かめながらゆっくりと歌えば喉が気持ちいい。サビ最後の

僕のものに なるわけないか

の落とし所もよい。

というわけで、わたしはこの歌がすきなのでした。

 

 

今週のお題「好きなアイス」

好きなアイスはバニラかな。

短歌の目7月 投稿します

締切の月末前に週末があるのはとってもありがたいことだと思います。

今月もよろしくご覧ください。

 

 

1. 透
脱ぎたてのサランラップを想うもう透明じゃないとうめいである

 

2. ホイップ
丸腰で行ってはならぬ肉の海、油の平野、ホイップの丘

 

3. 果
しべのないカサブランカを聞くことの結果としての夏の葬列

 

4. ペンギン
海の日の空 ペンギンの描かれたシートは砂を蹴ってどこかへ

 

5. 短夜
短夜に牌をならべて言うことにゃ「親父は鳥を絞めて断ヤオ

 

テーマ詠「あつい」

気化熱をなかったことにして姉は夕立ちとなる土用の坂道

梅雨の暑い日、

彼女の背骨をそっと、取り出したかったのだが、その守りはなかなかに堅く、「おいおい、ちょっと血ィでちゃったよ」、外すのにはあんがい苦労した。「ほんとうはこんな事でちからを使いたくなかったんだけどさ」、無理やり引っ張ると背骨は勢いよく飛び出して、あぶなく取り零しそうになる。脊髄反射で思わず握りしめたそれはまるで純白の磁気のような完璧さを備えていて、わたしはすぐに指先のちからを緩めた。やさしく握り直し、けれども逃げられないように…。彼女の背骨をなでまわし、またある種の執念深さで観察していると、白磁の肌にすこしの綻びを見ることができる。「きみがこんなとこ日焼けするなんて、だれも思わないだろうね?」。しかしそれこそが、わたしの求める綻びだった。昨晩短く切ってしまった爪を垂直に立て、軽く指を動かすと、綻びはすこしだけ、大きくなる。それは不器用なわたしの指先がなんとか摘めるほどの大きさで、それでも、取っ掛かりを見つけることができたわたしは嬉しかった。そうして、たった今まで彼女の背骨の一部だった薄いうすい皮膚を、ゆっくりと剥がしていく。摘んだ指先を決して離さないように、そして皮膚が千切れてしまわないように。やがて彼女の背骨は、頚椎から仙骨までぐるりと剥かれてしまったのだった。「まったく、結構な手間だった」。それから彼女の背骨を力まかせに嵌めなおすと、手にしたサランラップでメロンを包んで冷蔵庫にしまったのであった。

 

2017年7月9日(日)猛暑 メロンを食べた