夢日記

バスに間に合うように急いでバス停に向かうが走れども走れどもバス停はなく、ついに駅に着くというところでようやくあらわれたバス停にタイミングよく来ていたバスに飛び乗るとそれは全然逆方向のバスだった。次のバス停で降りて近くの駅に駆け込むとホームには電車がひとつ来ていて、「いいの?これに乗っていいの?」と聞きながら乗り込む。福島行きの電車だった。どこに行くつもりだったか忘れたが、これではないな、と思った。電車は湖面を優雅に進み、後ろのシートに座る阿佐ヶ谷姉妹が「あれが有名な〇〇橋よ」と話すのを聞いていた。普段は西の方角に見える地元の山が東に見えた。残照が映えてきれいだった。

日記

2023年10月21日(土)雨 冬のはじまりのような一日だった

長女小学三年生の学芸会があるので朝早くから登校の準備をした。玄関開けると雨風が強く、子は喜んで、合羽を着ていく、と言った。台風のような悪天候に合羽を身に着けて外に出て、嵐の中踊り狂いたい、みたいな願望が子の内にあって、最近それを言語化して家族の中で共有することができたので、親子双方のストレスがひとつ減ったところだ。合羽のボタンをしっかりとめて、ふたたび玄関を開けると、雨は止んでいた。まぎれもない晴れ女。合羽を脱いで、傘を持って登校していった。登校中はずっと晴れていて、学校に着いた頃合いでまた土砂降りの雨になった。

玉ねぎを焼いてるあいだに書いています

2023年7月20日(木)なんか晴れたな

昼前から晴れて、職場の窓から見える景色が急に明るくなった。

客からの電話を受けて、それワガママ言ってるって自分で気づかんもんかね??、そんな案件だったのでムカついたが、その後行った郵便局で知らない人から「あなた姿勢いいのぉ!」と褒められたのでビビりながらも気分が良かった。知らない人から。すれ違いざま。とつぜん。返事を考えているうちにその人は視界から消えた。

姿勢がいいのはインド映画のおかげだ。BGMを脳内再生してると強くなった気がしてくるから。最近は飲酒が趣味になりつつあって、今までは「水分」として薄い酒を嗜んでいたんだけど、酔うことを目的に強い酒にいってもいいかな、と思うようになった。飲酒してインド映画観るのたのしい。

RRRに夢中になった五月が六月が終わり気づけば七月も半ば

2023年7月10日(月)くもりときどき雨 湿度

映画『RRR』に出会ってはまった五月がもうすぐ終わろとしている。あっという間だった。ゴールデンウィークのおわりに初めて観に行って、ところが初見ではピンとこなかった。ただただ画面の迫力が凄すぎて、ずっと半笑いで観ていた。アクションシーンの途中で、(あ、いま自分は笑いながら観ているな)と自覚する瞬間があった。観終わって、一緒に行った夫とはただただ「すごいね…すごかったね…」つって、映画の間子どもらを預かってもらってた母にも「すごかったよ…」つって、一体なにがすごかったのか、場面場面を反芻し、SNSなど巡回して、周囲の何人かにも「すごかった」と言ってまわっているうちに、もう一度観たい!の熱が高まり、翌週2回目を観に行った。なにがすごかったんでしょう、やっぱりアクションですかね、テンポよく爽快感があった。音楽と絵が合ってるのも気持ちよかった。歌やダンスばかりか、劇伴でさえもが映像にピッタリはまって、まるでミュージックビデオのようだった。ストーリーもわかりやすくて、普段映像作品をあまり観ないわたしのような者でもなんらストレスなくすんなり理解することができた。そう、普段は映画どころかドラマさえほとんどみないわたしのような者でも…。そんなわたしが、これは観れるかぎりは映画館で観るべき作品だな、と思って、その翌週3回目を観に行った。一週間にいちどは観に行っているのだ、上映時間3時間の映画を!!チケット代は惜しくないが、わずか一ヶ月で9時間を映画鑑賞に捧げたとなると(夫も別日に3回目を観に行っている。夫婦二人で18時間となると)これはちょっと行き過ぎかなと思えてきて、子どもらはどう思ってんのかな…とちょっと不安になったので4回目も観に行きたいという気持ちを今ちょっと我慢している。子どもらは、「また観に行くの?いいな〜」と言って送り出してくれる。「夜ごはん一緒に食べたかったなー」とはいうけど、それはごめん。しかしもしこれが「週イチで飲み会に」だったらわたしはすごく罪悪感を覚えてしまうので、飲み会でないとはいえ、あまり頻繁に夜に出掛けるのはよくないよな、と思ってはいるんです。

映画『RRR』にはまった六月もとっくに過ぎ去った。六月は二週間おきに2回ほど観に行った。鑑賞回数は5回になった。合計15時間も同じ映画を!と呆れられることもあり、また、「そんなに面白いなら観に行ってみようかな」と言ってくれる人もいた。観に行った人はもれなく食い気味に「面白かった」と感想をくれた。「面白かった」ばかりでなく熱き想いも語ってくれるので嬉しかった。

RRRをきっかけに、インドの歴史や文化に興味を持つことができた。インターネットを通じて断片的な知識が増え、次に得た知識とそれが結びつくのが楽しかった。インドで使われている言語のうち、「テルグ語」を「テルグ語」として聴き取ることができるようになった(意味はわからんけど)。様々な言語で書かれている文字の中から「テルグ語」はこれだとわかるようになった(意味はわからんけど)。俳優の顔と名前を見分けられるようになった。何人かの著名な映画監督と音楽家、それらの作品を覚えた。それで今は他のインド映画作品も鑑賞し、好きだな、と思っているところ。

センシティブな内容を含む可能性のあるメディア

2023年6月24日(土)晴れ 掃除がはかどった

息子2歳は最近ちんちんの皮が剥けた。

常々オムツを変えながら、えっこれ剥けるの?剥けないの?どうすんの??などと言いあっていたが、風呂に入ったとき「ちんちんひっくり返っちゃった」の声に振り向くと、ズルムケの息子がいたらしい。「ちんちんひっくり返っちゃった」、すごいおもしろい。息子はそれ以来、スキあらば皮を剥いて遊ぶようになってしまった。

こないだ近所を散歩したとき、野生のマーガレットが咲いていて、「お花きれいだねえ」などと眺めていたら、咲き終わったマーガレットの花殻を指して「ちんちんあるねぇ」と言っていたのもおもしろかった。

人格とは

2023年4月30日(日)雨 久しぶりの雨の匂いだった

かわいい息子2歳の、両手両足もかわゆく、おなかもお尻もまたかわいい。しかしそれは例えばネコの前脚を愛で肉球を吸うときとは違うなにかを感じる。

息子の右足を愛でてから靴下を履かせるとき、右足には右足の、左足には左足の人格があるように感じる。「みぎあしくん」と「ひだりあしくん」である。娘の、汗ばんでマメだらけの手のひらをかわいいと思うことはあっても、娘の手のひらに人格は感じない。

思うに、まだ完全には息子の思いどおりに動かせない手足が、一人では服を着るのも靴を履くのもままならない身体能力が、身体のパーツ一つひとつに人格を持たせているのではないだろうか。

身体のパーツひとつといってもどこまで細かく人格を感じるか、想像してみるが、足の親指には感じるが中指には感じない。小指は少し感じる。お腹に人格を感じるが、ヘソにも感じる。背中にはあまり感じない。後頭部は顔とは別の人格を感じる。顔をみればもちろん「息子2歳」としての人格を感じる。チンチンとキンタマはそれぞれに感じる。髪を結べば結んだ部分に感じる。

そんなふうにあちこちに存在する人格を、感じつつ、いつしかこの人格が薄らいで、「息子○歳」の人格しか感じず、そして手足に人格があったことすら忘れてしまうのかな、としばらく考えている。

アンパンマンマーチの下品な替え歌

2022年12月28日(水)晴れのち雨、かみなり

アンパンマンマーチの下品な替え歌があって、

歌い出し

そうだ おそれないで

みんなのために

愛と勇気だけが

ともだちさ

の部分が

アンパンマン そこはだめよ

大事なところ

ソーセージ ミートボール

おいなりさんの皮〜 (ひじき)

だという下品な替え歌があって、初めて聞いたのは娘がもうすぐで小学生になるという年長の冬の半ばだった。下品な替え歌、いかにも小学生低学年らしくてほほえましー、と思いつつ、いやいやせめて小学生になるまではそういうの歌わないでほしかった、と、娘にそれを教えた同級生のハルくんを恨んだりもした。娘は「ねえ、これどういう意味の歌?」とたびたび聞いてきたが、しらんわからんと躱してるうちに、「わかった、おいしいお弁当の歌だ」と納得したようだった。そうだねえ、と返した。

時は流れ、一年生の終わりころ、この歌の意味わかったよ、と娘が言う。これは顔のパーツを表していて、ソーセージは鼻でしょ、ミートボールは目でしょ、おいなりさんの皮は…なんだろう顔の皮かな?、それでひじきは髪の毛!あ、まゆげ!!と言う。そうだねえ、と返した。

さらに時は流れ、最近になって娘は、ねえこの歌ってチンチンの歌じゃん、と気づいたようなことを言った。周囲の碌でもない男子たちに聞いたようだった。いかにも小学生だなぁ、と、その健やかなエピソードに感動した。娘はおもしろがって、以前にもましてよく口ずさむようになった。

そうしたら今度はむすこ一歳九ヶ月がこの歌を覚えてしまい、「♪アンパンマン、そこは~、(フンフンフーン)、かわ~♪」と一緒に歌うようになってしまい、(これ保育園では歌わないでほしいな…)とわたしは思うのであった。おもえばハルくんもお兄ちゃんから聞いたんだろうな。そのようにして替え歌というのは歌い継がれてゆくのだろう。