金玉起源説

2015年12月11日 気温は高く大雨 これから深夜にかけて暴風の恐れ

こちらの記事を読んで思ったこと思い出したことを書く。

 

zuisho.hatenadiary.jp

 

学生時代。話の流れは忘れたけど、友人ユーちゃんに向かって「ユーちゃんがまだお父さんの中にいた頃にさ~」と言ってみたのを覚えている。ユーちゃんは「ハテナ?」顔で聞き流し、隣で聞いていた友人ハーちゃんが「その言い方よして」とツッコミに入ったのを覚えている。ユーちゃんは大学生にもなってアカチャンはコウノトリが運んでくると信じている、と周囲に思わせるような真正の天然で、だからこんなこと言うても当然聞き流すだろうなと思った通りの反応だった。

当時なんでそんなふうに考えたかといえば、それこそアカチャンはコウノトリが運んでくるというイメージからじゃないだろうか。あと綿毛たんぽぽのイメージもあるかもしらん。アカチャンというものはある日どこからかやってきて母親の中に居座るというイメージが出産を終えた今もまだある。どこからやってきたのかといえばやっぱり金玉の中からというのが一番しっくりくる。

卵子として母親が生まれてきたからずっと受精卵になる日をじっと待ち続けてたんだな。男は生まれるやいなやアズスーンアズで生きるか死ぬかのレースに挑んで生まれるなり散るなりするけど、それはある意味ではすごく簡単なことで、じっと待ち続ける方がずっと忍耐が必要で大変なことだ。

「俺がまだ親父の金玉にもいない頃」みたいな感覚 - ←ズイショ→

子どもを宿すまでは自分の身一つで生きてきたつもりだったのに、実は自分が生まれた時点で将来の我が子(それもひとりとは限らない、わんさかいるかも)を抱えてたなんて考えたら鳥肌ものだ。先日食べた子持ちハタハタを思い出した(おいしかった)。そんなのが自分の中でじっと待ってるなんて考えたくない、めっちゃ責任重大じゃんか。できれば代謝の旺盛な金玉の中でも新しめのやつがたまたま(金玉だけに)勝ち抜いて生まれたのがこの子です、くらいの軽いニュアンスであってほしい。だからわたしは金玉起源説を支持します。自分が金玉にいたころの記憶は、まだ、ない。