定禅寺散歩物語

2015年8月22日 くもり 過ごしやすい天気

晩翠通りのコインパーキングに車を停め、徒歩で北へ向かった。道路案内板を読んだ姪が、ていぜんじ、と言ったのをお義母さんは聞き逃さず、じょうぜんじ、と訂正する。漢字っておもしろくって中国では時代が変わるごとに読み方も変わってそれまで使われていた読みは忘れ去られていたけど日本では伝わった当時の読みがそのまま残っているから中国よりもいろんな読み方をする場合があるんですってこの前NHKでやってたの、という蘊蓄も心地よく聞き流したわれわれは曇天の午後の定禅寺通りにたどり着いた。
交差点の信号は赤で、歩道の四隅には様々な種類の人間が溜まっている。このあと歩行者信号は全方向が青になるの、縦も横も進めるの、斜めも歩けるの、とお義母さんは信号が変わるまで言い続け、その説明をさも初めて聞くかのように相槌を打ちながらわたしは田舎者に見えやしないかとひやひやした。信号が青になりました暁にはその預言どおりに人々が流れ出し、われわれは素直に前方に進んだのち、ケヤキ並木の遊歩道の真ん中で歩みを止めた。今日の目的は散歩。

 

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左右を見渡せばケヤキ。西の果てでは白いドレスとタキシードが記念撮影をしており、一帯は暗黙の了解のうちに立入禁止になっていた。なれば東へ進むしかない。踏み出す足元は土で固められていて、朝のうち雨といいつつ地面は乾いていた。これだけ木があるのに蝉の声はほとんど聞こえず、喧しいのは頭上の緑と、緑から垣間見える道路沿いの店先の看板の色だけだ。

遊歩道を歩く人はすくなく、数組の女性がベンチに腰掛けてぼんやりしていた。なんぴとたりとももれなくぼんやりしていた。彼女たちの視線の先は、遊歩道を歩くわれわれか、道路を走る車か、ぽつんと設置された彫像にあった。姪が彫像に駆け寄り、丸裸のおしりを眺める、触る、カンチョーをする。わたしは正面を覗き込んで、ちんちんがリアルで、と言いたかったけれどもぐっと堪えた。彫像の作者の名前がどこかにあるはず、と探すお義母さんに、ここに彫ってありますよオデュッセウスというそうです、と教えてあげたのだが、今調べたらこれは彫像の名前だ。作者はジャコモ・マンズーというらしい。彫像はもうひとつあり、こちらは女性で、身体のひねりが素晴らしく、とりあえず真似てみる。エミリオ・グレコ作「夏の思い出」。今日の散歩にぴったりではないか。

遊歩道に交差する通りの名前を読んで、くにわけまち、と姪が発音した。すかさずお義母さんがこくぶんちょう、と訂正する。先ほどの漢字のくだりがまた繰り返される。まだ来たことねえんだろうなあ、と夫が話しかけ、あと10年したら一緒に来よう、とわたしは提案した。10年経ったら姪は20歳を過ぎる。我が娘は10歳か…家に置いてこよう。

交差点を超えた東の果てではストリートライブが行われていて、中年男性がギターをかき鳴らしブルースハープを吹きまくりボエボエと吠えまくっていた。スピーカーから流れる音量の大きさに思わず娘の耳をふさぎ、娘はそれが心地よかったのか、そのまま午後の眠りについた。娘が産まれたらやりたかったことのひとつが定禅寺通りの散歩で、更にいうならコーヒーを片手に歩きたかった。それで道路沿いのドトールを目指す。入り口には定禅寺ストリートジャズフェスティバルの貼り紙がしてあって、今度はこれに来たいなあと想いを強くした。当日は街中がストリートライブ会場になるんだから、あちらこちらからボエボエ聴こえてくるだろう。娘が心地よいと思ってくれればいいな。

コーヒーを片手に道路沿いの歩道を歩き、そのせいか復路は早く感じた。晩翠通りのコインパーキングに戻り、30分間の利用料100円を払っておしまい。何枚かの写真と、飲み終えたコーヒーの容れものが残った。秋のジャズフェスに冬の光のページェント、それらを観にここに来る機会はあるだろうか。お義母さんはわれわれの訪問を歓迎してくれるが、別れ際に次はお正月かしらね、なんて言われたものだから、早速来月にまた来たいんですけどと言い出せないでいる。

 

今週のお題特別編「はてなブログ フォトコンテスト 2015夏」