短編小説の集い「のべらっくす」第11回 青森にキリストの墓がある説

短編小説の集い「のべらっくす」に初参加します。

よろしくご覧ください。

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青森にキリストの墓がある説

「おにいさんキリストの墓探してるの?」

開いたガイドブックの向こうから声を掛けられて、圭介は顔をあげた。そしてすぐにガイドブックを閉じ、目線を足元に移す。少女がそこにいて、人懐こいというよりは馴れ馴れしい態度でこちらを見ていた。

「キリストの墓探してるの?」

もう一度聞いてくる。馴れ馴れしいを通り越して生意気ですらあった。長いけれどもまだ薄い髪の毛は耳の上でふたつに結ばれて、黄色い髪ゴムで留めてある。白いワンピースに茶色のサンダルを履いている。背丈は一メートルを超えたくらいか。眉の上で切りそろえられた前髪、大きな瞳、小さいながらも形のよい鼻と口。大人しくしていれば賢く見えそうなものを、その瞳は不躾にこちらをとらえて動かない。身近に子どもがいない圭介には少女の年の頃もわからず、なんだこの子どもは、と思ったそばから母親らしい女性が駆け寄ってきた。

「すみません、ちょっと目を離した隙に」

少女の手首を掴みながら、圭介に頭を下げる。いえいえなんでもないですよ、それじゃ、とガイドブックに目を落としたそのとき、再び母親の声が聞こえた。

「キリストの墓を探してるんですか?」

 

それで、どうしてこうなったのかわからない。

そもそも圭介は、青森に来たかった。

会社が盆休みに入ったからといって特にすることもなく、アパートでいつもよりは早い時間に酒を飲んでいた。つけていたテレビでは第97回全国高校野球選手権が流れていて、青森の高校が大差で負けていて、それでなぜだか青森に行きたくなって、次の日の新幹線の、帰省ラッシュに飲み込まれそうになりながら、新青森駅に到着したのが今から一時間前である。すぐに駅の売店でガイドブックを買って、これからどうしようかと考えていたところに、声を掛けられたのだ。それでどうしてこうなったのか、今、母娘とともに車に揺られている。

「だいたい二時間くらいかかると思うんですけど」

運転しながら母親が言い、圭介はガイドブックの地図を追いながら、まあそうだろうなと思った。どうせ無計画でここまで来たんだ、地元の人が勧めるスポットにふらりと立ち寄ってみるのもいいじゃないか。地元の人?この母娘は、キリストの墓があるという新郷村の人なのだろうか。どうして新青森駅にいて、どうしておれなんかに声を掛けてきたんだろうな。まあいいや。しかしこの子どもの声の掛け方よ、飲み屋のキャッチみたいに違和感がなかったな、いや違和感はあったけども。まあいいや。キリストの墓を見に行って、戻ってきたら駅の周辺で飲み歩こう。青森はなにがうまいんだったかな。いや、その前に戻りの足はどうする…まあいいや。

 

おすすめの観光地を聞いたり昨日見た甲子園の青森の試合の話をしたりして、二時間はそれなりに有意義に過ぎた。『この先キリストの墓』と書かれた道路標識の通りに車が曲がったのを見て、圭介はシートから思わず身を乗り出す。

「もうすぐ着きますよ」

気配を察して母親が言う。子どものほうは、いつのまにかチャイルドシートで眠っていた。

しかし車は停まることなく、山道を登ったり降りたりしながら進んでいく。地元の人しか知らない道なのだろうか、そう思って地図を追うのを諦めた圭介は、窓の外を眺めることにした。今まで車窓に見えなかった種類の木が、少しずつ増えていく。木には実がついている。青いものに赤いもの。あれは、リンゴ?そういえば、青森はリンゴの生産量が日本一だった。見慣れたリンゴになんとなく安心したとき、車が停まった。

「着きました、お疲れさまです」

母親の声がして、子どもが目を覚ます。

そこはキリストの墓ではなく、農家の庭先だった。どうやら母娘はリンゴ農家の家族で、とても大きくて立派な家に住んでいた。まずはあがってお茶でも、と言われたが、圭介はそれよりも先にキリストの墓を見たかった。

「キリストの墓?ああ、この近くにありますよ。実は今日、お祭りがあるんです。キリストの。だからね、お祭りが始まる頃、もう少ししたら案内しますよ。だからまずはお茶でも、どうぞ」

まあいいや。母親に促されて、家にあがる。座敷の奥には婆さんが一人いて、まあまあ遠いところから、と言いながら座布団を出してきた。

 

男衆はいまリンゴの作業に出ていてね、せっかく来てくれたのにすみませんが」

婆さんが話し出す。リンゴの作り方やキリストの墓の謂れを聞き、圭介は昨日見た甲子園の青森の試合の話をする。世間話をはじめて数十分、先ほどの子どもが騒ぎ始めたと思ったら、浴衣を着て圭介の前に現れた。

「キリストの墓見に行くんでしょ?お祭り行くんでしょ?」

紺色の浴衣に赤い帯を締めている。ふたつ結びだった髪は頭の高い位置でひとつにまとめられて、黄色い髪飾りを付けていた。

「お待たせしました、行きましょうか」

母親は出会ったときの恰好のまま、子どもの手を取って、庭に出た。

「あたしはあとから行くよ」

後ろから婆さんの声が聞こえた。

 

さて、どこをどう進んだものか、五分も歩かないうちにキリストの墓に着いた。

広場の中央に盛られた土の上に十字架が刺さっていて、ぐるりと柵に囲まれているこれが、キリストの墓らしい。広場全体を木々が覆い、提燈が飾り付けられ、まだ明るいというのに灯りがともされて会場はうっすらと輝いていた。提燈の灯りばかりではない。広場の端々に出店が設けられて、豆電球がテントを浮び上がらせている。こじんまりとしているがれっきとした祭りの風景に、圭介は少しだけ感動した。そういえば、最近夏祭りというものに行っていない。

夏祭りといえば盆踊りだろうか、と中央の十字架を眺めてみる。夜になるとみんなこの周りを踊るんだろうか、しかしキリストの墓だぜ、これは。それから、夏祭りといえばリンゴ飴だろうか、と出店を眺めてみる。リンゴ飴、金魚すくい、やきそば、たこやき…

そこで圭介は目を疑った。出店は、右から順に、リンゴ飴、リンゴ飴、リンゴ飴。左を見ても、リンゴ飴、リンゴ飴、リンゴ飴。この会場には、リンゴ飴の出店しか、ないではないか。

「出店、リンゴ飴ばっかりですね、やっぱリンゴの産地だからとか、そういう?」

母親に尋ねたところで、返ってきたのはリンゴ飴だった。いつの間に買ったのか、子どもが両手にリンゴ飴を持ち、片方を圭介に差し出している。まあいいや。これ以上突っ込むのはやめておこう、これはきっと奇祭の類なんだ、そもそも青森でキリストの祭りなんて奇祭に決まってる、と納得して、圭介はそれを受け取った。子どもは早くもリンゴ飴のビニールを外して、チロチロ赤い舌を出してなめている。

「早く食べなおいしいよ、ホラホラ」

もはや馴れ馴れしさにも慣れた。子どもというのも案外かわいいかもしれない。この夏祭りの想い出を持ち帰りたくて、圭介はリンゴ飴をカバンに仕舞った。

 

さて、キリストの墓も見たところで、そろそろ帰ろう。広場をざっと一周して、圭介は我に返った。祭りとしては特段変わったこともなかったな。それよりも戻りも二時間かかるのでは、駅前で飲み歩く時間が無くなってしまう。そう思ってカバンからスマホを取り出し、時計を確認し、そのままタクシー会社に電話する。電話番号は駅でガイドブックを買った時に調べておいたのものだ。もしもし、キリストの墓まで、一台お願いします。タクシー会社の受付は、まもなく参ります、と言った。

「この辺は携帯の電波が届かないらしくって、お迎えも呼べないでしょう。明日送っていくから、今日はうちに泊まっていってください」

電話を切ったとき、母親に話しかけられる。

「いや、ちゃんと繋がったみたいです、タクシーまもなく来るって。どうもお世話になりました」

圭介が挨拶すると、母親は大層驚いた顔をした。

「え、でも、もうお泊まりの用意もしてあるし、夜も遅いし、タクシーだって今からじゃ」

圭介が泊まるものとばかり思っていたらしい。明らかに動揺している。しかし圭介は、もう田舎も祭りも満喫した気でいた。こんなところに半日もいるつもりではなかったのだ。

「そんなつもりで来たわけじゃないですし、そこまでしてもらっちゃ悪いし。とにかく帰ります」

帰る泊まれの押し問答をしているところに、タイミングよくタクシーが到着した。

「じゃあ。どうもありがとうございました」

なかば振り切るようにして母親から離れ、タクシーに乗り込む。ドアが閉まる瞬間、いつの間にか来た婆さんに怒られている母親と、リンゴ飴をなめながらこちらを向いている子どもが見えた。

 

「キリストの墓って初めて来たんですけど、今日がちょうどお祭りみたいで」

昼に見た『この先キリストの墓』の道路標識が再び見えたとき、圭介は初めて口を開いた。

「こんなところにホントに墓があったのも驚きですけど、あの祭り、出店がリンゴ飴ばっかりなんですね。この辺では有名なんですか?」

「お客さん、そのリンゴ飴、食べた?」

圭介の質問には答えず、タクシー運転手は前を向いたまま、聞き返す。

「いやーもらったんですけどね、とりあえずあとで食べようと思って、カバンに」

そう言ってカバンを探したが、リンゴ飴は見つからず、かわりにスマホを手に取る。

「あれ、どこかな。まあいいや。なんだ電波あるじゃん。さっきの広場は電波ないって言われて」

「お客さんのそれ、iPhoneiPhoneなら繋がりやすいみたいだけど」

頷く圭介を鏡越しに見ながらタクシー運転手が返答する。

「私どもも常に持ち歩いてるんですよ、どこでも繋がるから。iPhoneならね」

 

そうしてこうして二時間の帰路を辿り、タクシーは駅前まで戻ってきた。盆の駅前は人も車も混雑していて、なかなか前に進まない。

「こんなに混むならもう少し早く帰ってきたかったなあ。そういえばタクシー寄越すの早かったすね、助かりました」

「まあお客さんiPhone持ってたからね。車この辺でいいかな?」

タクシーはハザードランプを出して停車し、圭介は料金を払う。

「毎度あり。お客さん、キリストの祭りはね、6月にあるんだよ。次は本当の祭りを見れるといいね」

そういうと自動ドアを閉めて、タクシーは走り去っていった。

6月だって?じゃあさっき見た祭りはなんだったんだ。…まあいいや。まずは何から食おう。青森はなにがうまいんだったかな。人の波に揉まれ、酒と肴のことを考えながら、圭介は駅前の繁華街に消えていった。