娘に歯が生えたことについての日記

2015年9月7日 雨 半袖じゃちょっと寒くなってきたな

娘に初めて歯が生えたことを確認したのは5月の終わり、生後6ヶ月の日の朝だった。ハーフバースデイともいわれる記念すべきこの日に、どれちょっくら歯でも見てやろうかい、と唇をめくったら、下の歯が2本しっかり生えていたので驚いた。いつの間にという感じである。以前にも歯が生えていたように見えたことがあったがやっぱり気のせいだった、そのときよりも断然、存在感がある。

母に報告したら、得意げにひとつの俳句を教えてくれた。

万緑の中や吾子の歯生えそむる

(中村草田男/「火の島」昭和14年所収)

折しも季節は新緑の頃で、近所の生け垣に緑、街路樹に緑、田んぼに緑(これは苗か)、遠くの山にも緑、緑、緑…。そこに、生えたばかりの2粒の白い歯。まさにピッタリの一句だと思った。

 

そして、この俳句を教えてもらった時、わたしの中でつながった短歌がひとつ。

うぐいすの粉を撒き撒き餅食みし吾子の口から緑はじまる

短歌の目5月は発情しきった眸のままで - nerumae

 わたしが毎月楽しみに参加している はてな題詠「短歌の目」 主催の卯野抹茶(id:macchauno)様の5月の短歌、お題は「うぐいす」です。

きな粉を散らしながらうぐいす餅をほおばり口いっぱいにかみしめる子ども、その口に、膨らんだ頬にきな粉がくっついていて、撒き散らしたもんだから胸元や座った膝のあたりまできな粉がくっついていて、こんなに散らかしちゃってときな粉の行方を追っているうちに目線は庭先へ、そこで緑が目に入って、あああ新緑の季節だなあ――

というのが5月上旬にこの短歌を初めて目にしたときの感想だった。うぐいす餅の緑は色としてはまだ薄く、むしろ黄緑色で、新緑のほんとうの萌えはじめのころを連想させ、「緑のはじまり」にとても似ているとも思った。

だから

吾子の口から緑はじまる

という表現がすごく気に入ってなんとなくこのフレーズを忘れないでいるところに、中村草田男の俳句を教えてもらった。

 

卯野さんの「緑」はうぐいす餅の緑だと思うのだけど、中村草田男の俳句を知ることで、「緑」が「葉」であり「歯」であり生命力そのものに思えるようになってしまった。「吾子の口から緑はじまる」、なんて素敵なんでしょう。その吾子の口から飛び出す緑は「万緑の中」に混じり合ってこれから勢いを増してゆき、その根本を見ればかわいい白い歯が2粒あるというのは、想像していると無限ループで、とても楽しかった。今も楽しい。

 

娘の歯が生えた時期と中村草田男が俳句に詠んだ時期と短歌の目で卯野さんがこのような短歌を詠んだ時期が同じで、ほんとうによかった、と思った。

 

 

という感想を5月からずっと持っていたのだけどうまく文章にすることができず、これもうまくまとめられたわけではないのだけど、先日娘に上の歯が一気に4本生えてきたので一気に書き上げました。

ちなみに

 「垂乳根の母」はこの身にまだ遠く 右の乳首を齧られて泣く

これは恥ずかしながらわたしが「短歌の目」6月で詠んだものだが、授乳しながら乳首をかじる癖はその後しばらくしたらなくなったので非常にほっとした。ところで昨日 赤ちゃんせんべいを食べさせたところくっきりと歯形をつけて齧りついていたので、これが乳だったらと考えると恐怖している。