今年の書き初めは「早寝早起き」

2016年1月2日 仙台は晴天なり 帰路に雪なし渋滞もなし

新年を迎えた夫の実家では豪華なおせちを用意してくれていて、黒豆や数の子に負けじと存在感を放ったなにかをかじりながらここに酒があればなあと思ったのだった。なにかはカタカナで作られていて、これも黒豆や数の子のような縁起の良いいわれがあるのだろうか、そんなことを考えながら布団に入れば夢に川越達也がでてきて、簡単なサラダを作れという。わたしが水菜を包装のビニールから出していると川越達也が「その水菜、今から洗うのか」と訊いてきた。普段家で料理するときは一通りの野菜を洗っているからこの水菜ももちろん洗うつもりだったのに、カリスマシェフと呼ばれる人がわざわざそう訊くからには洗わないのが正解の気がして洗いません、と答えれば、「客に出すのに洗わないわけなかろう、そもそも普段は洗っているくせにカリスマシェフの質問だからとわたしの顔色をうかがって答えを変えるのは良くない、自分の思ったとおりのことを素直に言った方が良い」と諭されて、これはわたしが職場で居心地よくいるためにいつもしていることにそのまま当てはまる気がして、今年はもう不要な気遣いをしないよう心がける。2016年の初夢は意味のあるものをみたので儲けた気分。
おみくじは大吉で、これがまあどこをとってもなにをしてもうまくいくっていう大吉のお手本みたいに良い籤だったので、ありがたく持って帰ってきた。今年は本厄だけど、なんとかなると思う。