年賀状を印刷しているあいだに洗い物をしようと思っていたのに気づけばインターネットしてしまっている

2015年12月29日 くもりときどき雪(固め) 昨日よりマシかと思えど昨日より粒が大きい雪に打たれた

毎年のことながら年末は忙しい。今年は娘もいるしー、職場も異動したばかりで仕事に慣れないしー。忙しいふりをして年末始末を後回しにし続けて、気づけば明日と明後日しか、ない。年賀状も大掃除も終わって、ない。というか手を付けて、ない。それでいま、年賀状を印刷しているところ。年賀状に子どもの写真てどうなの、という議論を目にしたし我が家でも少し検討したけど、結局ここまで時間がないと娘のベストショット一枚でどうにかなるならどうにでもなれみたいに思っている。そんな心をこめた年賀状に、これからメッセージを書き込む。来年は版画してみたいな、と時間もないのにそんなこと思ったのはこのあいだ池田修三の版画を見に行ったから。

 

「短歌の目」第一期が終了し、卯野さんが参加者ひとりひとりにコメントをくださった。それから以前にもわたしの短歌を選出していただき、評をくださった方もいます。わたしはそれらをたいへん嬉しく、ありがたく読みました。他人からの評価は目から鱗の表現ばかりで、それはわたしが短歌というものに触れてまだ日が浅いから?それとも「鑑賞する」ために必要な知性、感性、技術などが未熟だから??評されて初めて気づくようなことばかりで、自分の作品なのに自分で気づけなかったことが悔しいと感じることもありました。わたしに評価をくださった方々はまたほかの参加者にも評をしていて、それらを読むのももちろん楽しかったけど、わたしには思いもよらない言葉で的確に表現されたコメントにいつかは自力でたどり着いてみたいと、最近特に思っている。

そうですわたしは短歌を「読みたい」。そう思ってから、市立図書館に行ったときは短歌コーナーを徘徊する習慣ができた。わたしはかたちから入る人間なので、以前「短歌の目」で話題にもなった“短歌の作り方について”の本はすでに何冊か借りている。それが先日は“短歌の評について”ものすごく気になっていて、そうしたら棚にちょうどよさそうな本があったので借りてきた。

これでよくわかる短歌鑑賞・批評用語

これでよくわかる短歌鑑賞・批評用語

 

 のに、読みこむ暇もなく返却してしまった…年が明けたらゆっくり読めるよう、ここにメモしておく。

歌集を手にするのはまだ早いというか、短歌の鑑賞の仕方を知らないうちに好きな作家ができようものならそのひとの作風に染まってしまうのではないかという気がして、まだ読めないでいる。そうやって頭で考えてしまうとだめなのだろうか、でもわたしはかたちから入る人間だし。