無題

ばあちゃんと海に行ったよ。バスに乗って行ったよ。バスは後ろの席に座ったよ。ある夏の日だった。ばあちゃんは白いストッキングを履き、白い日傘を差していた。海岸沿いのとある温泉街でわたしたちはバスを降り、白い砂浜に向かってあるき始めた。途中に親戚の雑貨屋があり、ばあちゃんはわたしに保冷剤と、ジュースやおやつなんかを買ってくれた。保冷剤にはちびまる子ちゃんが描いてあった。連載初期の頃のイラストだった。
海岸に着くと、ばあちゃんは日傘をそばに置いて砂浜に腰をおろした。浜は静かだった。わたしも隣に座って、さっき買ってもらったジュースやおやつを、ばあちゃん開けてとお願いした。ばあちゃんがおやつを開けているとき、少しの海風が吹いて、
「あ」
ばあちゃんの日傘をたちまち海に運んでしまった。わたしは慌てて追いかけたけど、自分のつま先すらも海水に濡らす根性はなかった。わたしの目の前で日傘はさらに沖へと飛ばされ、ぷか、ぷかと浮かんでいるかと思ったら間もなく沈んだ。

祖母はそれから長い間このエピソードを大切にしていて、「あんたとふたりで海に行ったとき、日傘が飛ばされてねえ」と楽しそうに話すことがよくあった。そんな昔のことよく覚えているなと言いながら、わたしだって鮮明に覚えている。あのときわたしゃ結構ショックだったんだよ、祖母の日傘をあんなふうに失ってしまったこと。自分が日傘をおさえていれば、とか、まだ浅瀬にあるうちにひろいにいけばよかった、とか。しかし祖母は、そうやって打ちひしがれたわたしすらも可笑しいと思ってくれているようだった。ばあちゃんがこのこと忘れないでいてくれてよかった。