9ミリメートル

2016年4月10日 晴れ 公園の桜はピンク

耳の上に9ミリメートルのデルタをこしらえました。
先日の飲み会でちょっと理不尽な説教に巻き込まれた。職場で理不尽な目に遭うなんて不毛すぎると思っていたのでできるだけ回避しながら過ごしてきたつもりだけど、やはり理不尽は理不尽らしく予期せぬ方向からやってきた。帰り道に音楽を聴きながらまあしょうがねえかという方向に無理矢理もっていって、ああ自分には好きな音楽があってよかったなあとちょっぴり救われた。
それで昨日に美容室に行って、剃り落としてやった。わたしは女の子だったから、頭部にバリカンをあてたことはいまだかつてなかった。「初めてなら9ミリからいってみようか」バリカンは耳元頭蓋骨にブインブイン響きながら、あっという間に9ミリメートルのデルタを作り上げていった。大丈夫大丈夫横髪を耳にかけなければ、誰にも気づかれることはない。日常は耳元にこっそり手を遣って、9ミリメートルの精神を想うことができる。
正直いうとこれがあと1ミリメートルでも長くなって他の髪に紛れてしまうのが心配で、それならいっそ6ミリメートルでお願いすればよかったと思う。「ツーブロックにする子はみんなそう言うんだよ」と美容室のお兄さんは言う。「どんどん短くしていって、最後にはアタッチメントなしになる。範囲も広くなっていくんだよ、最終的にはモヒカンになる。でもそこまでは望んでないよね?」そこまでは望んでいない、今のところは。「ちなみに4ミリより短くすると、地肌で青く見えるようになるよ」次の夏にはそれもいいかな、とすこし思った。

この記事は段ボール箱の上で書かれています

2016年3月28日 晴れ 春の陽気

日曜日は晴れ、春の陽気、すこし遠出しようと思いつつ気がついたら高速道路に乗って山の向こう、サービスエリアの食堂でカレーを食べていた。せっかく山を越えたんだもの、すこし足を伸ばそうと思いつつ気がついたらジャスコでウインドウショッピングをしていた。それで気がついたらわたしはもはやショッピングが苦手だった。買いたいものがはっきり決まっていて探し彷徨うのは楽しいけれど、あてもなく店から店を渡り歩くのはもはやノーサンキューだった。極力お金を使いたくないのかもしれないし、お金を使うために時間を使いたくないのかもしれない。そんな人生は楽しいのか?そこで理想の週末の過ごし方を考えてみたところ、幸せとは晴れた日に掃除と洗濯をすることだった。そんな人生は楽しい!といっても掃除と洗濯は午前中のうちに終わるから、午後からは散歩に出たりドライブに出たり写真を撮りに出たり、そんな人生は楽しい!

ジャスコの楽器屋でアコースティックギター入門セットがすぐにでも買える値段で売られていて、それがわかっただけでもここまで来た甲斐があった。次のお天気には動物園に行くと思う。

1996年8月 20年前かよ

2016年3月19日 雨 ぬるい
明日はお義母さんがやってくる。だから家中を掃除した。いわゆる水回りをいつもの倍以上に磨いて磨いて磨き上げ、トイレなどは便器を素手で洗ったという大企業の新入社員の気持ちが分かるほど親身になって接した。風呂場は夫の担当で、排水溝やゴムパッキンに哀しくも群生したカビを退治せんとカビキラーを振りかけてしばらく放置、しているあいだにわたしは出入り口の溝に埃と水分が一緒くたにふやけている考えただけで気持ち悪いのに見て見ぬ振りをしてたやつをやっつけにかかる。どのようにやっつけたかといえば新婚時代の誕生日プレゼントとして夫が買ってきてくれたエプロン、これは薄くてくたっとしてなで肩のわたしには肩ひもが合わなくて、それでも毎日着けていたけど最近エプロンを新調したことにより全く使われずに風呂場のラックの一番下にしまってあったやつ、そのエプロンに断りを入れたうえではさみで細切れにし、水で濡らせばあっという間に使い捨ての雑巾の出来上がり、あとは割りばしを使えば細かいところに手が届き、手は汚さず、納得いくまで磨き上げることができた。途中でめまいがしたのはあまりに根詰めたせいか、はたまた目と鼻の先にあったカビキラーのせいか。
この作業の間なにを考えてたかというとわたしはどこでこのような掃除の技を身につけたか、それで思い出したのは、わたしがいわゆる思春期の頃に「風呂ではただ身体を洗うだけでなく、ゆっくりと湯船に浸かってマッサージをしたりストレッチをしたり雑誌や本を読んだり、そうして一日の疲れをとりましょう」という習慣に初めて触れ、それまでは30数えるだけだった湯船に雑誌を持ち込む!それがすごく女らしいことに思えて家にある雑誌を検分したけれどあるのは料理雑誌とばあさんの趣味の雑誌だけだった。当時の女子にはピチレモンとかセブンティーン、もしくは明星なんかを読む者もいたのだが残念ながらわたしはその流行には乗れず、また母親も雑誌を書って読むひとではなかったので、わたしが風呂場に持ち込んだのは「NHKおしゃれ工房」と「すてきな奥さん」だった。「NHKおしゃれ工房」がなぜ家にあったのか、それで思い出したのは、この8月号は夏休みの工作特集で、妹はそれを見ながらおじぎザウルスを作って学校に提出していた。わたしは毎年苦労して夏休みの宿題を作り上げてきたのに妹は雑誌に作り方が懇切丁寧に載っていて、それを見ながら簡単に宿題を終わらしてしまったずるい、と今でも思っているが、それで思い出したのは、この時期は母親の入院騒動があって宿題もろくに見てもらえなかったんだった、家族みんなが大変だったんだな。ただし風呂場で読みごたえがあったのはおじぎザウルスよりもドールハウスの作り方だった。
割りばし雑巾の使い方は「すてきな奥さん」に載っていた。

コップ、プラスチックの、緑色の、

2016年3月11日 雪 この日はいつも雪が降る

先輩の息子は小学生でクラスの人気者でいて、学校から帰ってくると今日はどんな活躍をしたかいかに面白いことをして笑いをとったか毎日報告してくるんだと喋る先輩も職場の人気者だった。クラスに必ず一人はいた人気者の男の子、が出来上がるまでの仕組みを今になって理解している。
女子小学生はませているといえどもわたしはぼやっとしているほうで、熱心に好きになる男の子というのはなかなかみつけられなかった。それでもなんとなく、クラスで人気者の成澤くんが好きかな~面白いし、などという一般的女子の嗜みはあって、ただし熱心に想いを寄せていたわけではない。わたしはぼやっとしていたから用もないのに声をかけられるはずもなかった。
学校では給食の後にぶくぶくうがいの時間が設けられていて、各々がうがいコップを持ち込み、普段は教室の後ろの棚にしまってある。わたしのコップはけろけろけろっぴで、彼のコップはみんなのたあ坊だった。ある日の昼休み、彼のうがいコップとわたしのうがいコップが綺麗にスタッキングできることに誰かが気づいて、それを気に入った彼はしばらくの間それで遊ぶようになった。今となればいかにも小学生らしいくだらなさ、しかしわたしはそれが嬉しくて、意識して声をかけたのはそのときが最初で最後だったかもしれない。しばらくすると彼はその遊びに飽きた。
先日実家の洗面所にけろけろけろっぴのコップを見つけ、中を覗いてみたら母親の入れ歯が沈んでいたのでわたしの気分もいくらか沈んだ。

ゆきてかえりし

2016年3月5日 晴れ 晴れ 晴れ

先週は天気が悪かったので買い物くらいしかすることがなく、しまむらで娘のウインドブレーカーを買った。本当はアノラックがほしかった。友人は自分の娘のアノラックをシーズンの終わりに安く購入して2年くらい着回し、いや今年も着ていたから3年だったか、季節めぐるたびにいかに安く買ったかということを自慢していて、わたしも子供が生まれたらぜひそうしてやりたいと思っていたのだけど先週のしまむらではすでにめぼしいものは売れてしまっていて、いいさ来シーズンのはじめに買ってやろう、このくらいの出費がなんぼのもんじゃいと思いながら下唇を噛んだ。アノラックをアノラックと呼ぶとき、ベストをチョッキと言ってしまったときのような、ハイネックをタートルネックと言ってしまったときのような、スエットをトレーナーと言ってしまったときのような時代遅れのセンスを感じるのだけど、それ以外の呼び名をわたしは知らない。(あ、スノーウェア…)
しまむらのウインドブレーカーと西松屋のブーツ、これで準備は終わりだった。いつもなら抱っこで玄関まで来る娘は今日自分の足で歩き、いっちょまえに上がり框に腰掛けて大人しくブーツを履かされている。そして一歩を踏み出す。玄関のたたきは想像以上に硬く、安くてぶかぶかのブーツの中で娘の足がぐにゃぐにゃ動いているのがわかった。
玄関のドアを開けたとき、娘はいったいどんな顔をしていたんだろう?初めて歩き出す外の世界に、等身大の目線に、期待に胸を膨らませていたのだろうか?傘立てや灯油缶や猫ゲートやそういうものから娘の興味をそらすのに精一杯で、わたしは娘の顔をしっかりと観察することができなかった。それでもドアを一歩出た瞬間に見つけた寄せ植えの鉢の、もはや枯れかかったゴールドクレスト、去年の11月からなんとか生き延びてくれたやつ、を指さして声をあげたときには、これが彼女の目線なのだと非常に新鮮に感じた。
コンクリートは硬かった。砂利は歩き辛かった。坂道も歩き辛かった。土も歩き辛かった。それでも無事に、行って帰ってきた。

短歌の目2月 投稿します

やっとやっと第0回企画に追いついた。
わたしの参加は第1回からだったので、この第0回企画にもいつかは投稿したいとずっと思っていたのだった。
12月に短歌の目第一期が終了してからももやもやと短歌のことを考え続けて早2ヶ月、一年前の2月に行われたこの企画はやはり2月中に投稿できるようにがんばろーと思って詠みました。
よろしくご覧ください。


tankanome.hateblo.jp


1.白

明日ここに工場が建つこの種をはらに残して白鳥よ翔べ


2.チョコ

誰とでもうまく付き合う奴だった チョコの天麩羅 チョコの漬物


3.雪

ためらいのラジオ電波を記憶してトンネル出口でまって綿雪


4.あなた

あなたって寝た子も起こすピアニシモ 八分ちょっと前のささやき


5.板

偉大なる樹を切り刻み幾万のかまぼこ板にしてやったわけ


6.瓜

遮断機が降りるしぐさで瓜を割りそれぞれになる それぞれにゆく


7.外

( おんも )ではあるきはじめたみいちゃんが追儺の鬼に倣う舟歌


8.夜

真夜中に右脚ばかり洗いをり排水溝に人魚姫ども


9.おでん

おにぎりのフットワークに憧れるおでん 昨日のおでん おいしい


10.卒業

安眠は卒業しろと宣いて夢に割り込む十徳ナイフ


短歌の目に毎月参加するうちに、「いま見えるもの」に心を動かされたら詠みこもう、という思考が身につき、だから自分の短歌を辿っていくとその時々の日記代わりになっていたりして面白い。あと短歌の目は締め切りがあって、どうしたって10日以内で詠まないといけないから頭の回転が速くなる、気がする。今回は2月の頭から考え始めたのに、結局まる1ヶ月かかってしまった。間に合ってよかった。

無題

2016年2月27日 晴れのち雨 風邪ひいた


「検査が終わったわ。目を開けていいわよ」

低くはっきりとした女性の声にゆっくり目を開けると、緑色の天井が見えた。視界の端には白い蛍光灯。頭を動かすと緑色の壁があり、自分がベッドに横たわっているのが確認できた。声が聞こえた左側を向けば、背筋をぴんと伸ばした白衣の女性が枕元の椅子に座ってこちらを見ている。
「検査の結果を報告するわ。あなたには“Kの遺伝子”が組み込まれている。さすが、あのお方の子だわ」
手にした電子パッドに顔の半分は隠された女性の、液晶モニタに照らされた目元は若々しく、髪と眉は茶色に染められていた。長い髪は後ろで綺麗な一本に束ね、キリリとした眉は短い前髪の下で微動だにしない。
「Kの遺伝子…」
呟いた自分の声が、いつもと違う声に聞こえる。この女性がいうあのお方とはきっとわたしの父親のことだろう。嫌いで嫌いで仕方がなかった父親、忌まわしき“Kの遺伝子”に取り憑かれ振り回され、ある時は人が変わったように苛立ちを露わにし、またある時は魂が抜けたように虚ろな目をしていた父親。それと同じものが、わたしの中にも組み込まれていたなんて。知らずのうちに涙が溢れてきて、止まらない。
「大丈夫、心配しないで」
女性の声も、どこか遠くに聞こえた。
「あのお方も、そのお父様も、そのまたお父様も…、みんな通ってきた道よ。あなたにも克服できる。わたしたちも万全のサポートをするわ」
「みんなって、オトコばかりじゃない…」
わたしは鼻をすすり上げながら、弱々しく抗議した。
「それは……、」少し柔らかくなった女性の声。「そうね。あなたのお母様は、北国のご出身だったかしら」
そう、わたしの母親は、東北の山村に住む木こりの娘だった。彼女が生まれ育った山や里に、幼い頃のわたしはよく遊びに行ったものだ。春は山菜、夏は蛍、秋のアケビ、冬のスキーと、一日中山に囲まれて過ごした。父親があの“Kの遺伝子”に狂い出すまでは…。
「今のあなたが“Kの遺伝子”に苦しむのは、あなたのご両親が出逢ってしまった罪への罰ともいえるわ。これはあなたの 運命( さだめ )。でもあなたのお母様を、そしてお父様を許してあげて頂戴。あなたならきっと、大丈夫だから」
女性が電子パッドを下げたので、わたしははじめて、その顔の全貌を見ることができた。どこかで会ったことがあるような。口元には優しい笑みを浮かべている。
「いいこと、あなたにキャンディをあげるわ。もし“Kの遺伝子”に負けてしまいそうになったらこれを口に含みなさい。そして思い出すの、わたしたちはいつでもあなたを見守っているってこと」
女性の示した電子パッドに、見たこともないキャンディの瓶が表示されている。
「さあ、そろそろ時間ね。次に会うときは──」
その続きを、わたしは聞くことができなかった。突然の発作がわたしを襲い、制御できなくなった口からは──

「ヘ、ヘ、ヘックシュン」
「ヘックシュン」
「クシュン」

三つくしゃみをして、気がつくとわたしは薬局の待合室にいた。
「52番の方、窓口へどうぞ」
呼ばれて薬を取りに行く。
「山口さん、花粉症のお薬ですね。点眼薬、点鼻薬、飲み薬が出ています」
説明する薬剤師は若い男性で、ネームプレートには責任者と記されていた。細身の白衣に黒縁めがねが似合っている。
「花粉症は初めてなんだってね、お大事に。では隣で会計をお願いします」
会計窓口へ移動し財布を取り出す。そしておや、と思う。レジを叩く女性は白衣を着て背筋をぴんと伸ばし、さっきの女性に似ていて、……あの出来事は、夢?
「お会計は3,500円でございます」
低くてはっきりとした声も聞き覚えがある。けれどもわたしは、それどころではなかった。
「ヘックシュン、ヘックシュン。ずびばぜん」
今になってくしゃみが止まらなくなってしまった。鼻水も涙も滝のように出てくる。早く薬を飲まなければ。
「お大事になさってくださいね。よろしければこの飴、試供品ですけど、どうぞ」
お釣りと一緒に差し出された飴の包みまで見覚えがあるような、だけどわたしは頷くのが精一杯で、お釣りと飴とを右手に、左手で鼻を押さえながら、薬局を後にしたのだった。