無題

2019年5月19日(日)晴れ 洗濯を2回する

月明かりの眩しい夜でした。わたしと娘が横になると、ちょうど目のあたりに月光が当たって、「まぶしいね」、眩しくても我慢して寝ろ、というやりとりがある。

「ねえ、どうして月は丸くなったり半分になったりするの?」

わたしはヨッシャと思った。子どもから、どうして空は青いの、どうして海には水があるの、と聞かれてみたいと思っていたから。科学的根拠に基づいてできる限りわかりやすく説明したろと思っていたから。だから月の満ち欠けについてはりきってしゃべりだしたが、すぐになんと言っていいのかわからなくなった。理科の授業が思い出せない。わかんないから明日パパに教えてもらお、とごまかした。

ふと隣を見ると子は目を見開いて、こちらを見てニタニタ笑っている。月明かりは眩しく目玉を光らせているが、表情筋が影を落としていて怖かった。顔がこわいと思わず言ってしまった。「つまんねえこというからわらっちゃったよ」、思ったより低い声で返事が帰ってくる。それから「ねえ、あやつり人形って知ってる?」と言うと、あくびをして寝てしまった。

新社会人なんて二度と嫌

もうすぐ4月1日がやってきて、新社会人の心労はいかばかりかと思う。我が社でも人事異動が発表されて、我が支店には18歳の女の子がやってくることになった。18だぜ。

わたしが新採で配属された支店には同じ年代の女性はいなくて、会社ってこういうものかなと思いながら粛々と業務にあたった。当時のわたしと年の近い先輩は10歳離れていたのでたいそう恐縮しながら接したものだったが、しかし今にしておもえば10の年の差なんて大したことない。わたしは10コしたのヤツにも平気で敬語を使う。だから新人もあんまり恐縮しないでくださいと言いたい(あんまり舐めないでくださいとも言いたい)。

本店で入社式をして翌日はじめて支店に向かったとき、本当の手ぶらで行ってしまって、先輩がひとつひとつ備品を与えてくれたことを覚えている。ボールペン、消しゴム、ホチキス…。シャチハタは今日の帰りに買っておいてね。次の日、わたしはフセンに買ってきたシャチハタをおして、セロテープでボールペンのキャップ部分に巻き付けた。そしてそのボールペンをかれこれ12年使い続けた。

 

芯を替えようとも、本体とキャップは同じものを使い続けた。いつしか名字も変わり、貼り付けたセロテープはとっくの昔に黄色くなったが、新しいものにしようとは思わなかった。いや、思わないこともなかった、ときどき重心や太さの違うペンを使うと自分の字が上手くみえるときがあって、そういうとき、自分にピッタリのペンを買い求めてみようと思うこともあった、けど、字の上手な同僚がこの三菱ボールペンSA-Rを使って教科書みたいな字を書いているのをみて、弘法筆を選ばずとはよく言ったものだなあなどと思いながらこれを使い続けるのだった。

ところが、一年ほど産休をとってから復帰してみると、会社の備品から三菱ボールペンSA-Rが外され代わりによくわからん芯の細くて書き心地も頼りないやつが新たなスタンダードとして備品リストに入っていて、まるで浦島太郎状態ではありませんか。わたしは急いで、余っている三菱ボールペンSA-Rの替芯や、そのへんに転がっていた三菱ボールペンSA-Rの本体から芯だけを抜いて、机の中にストックした。気がつけば周囲の同僚はだれも備品のペンをつかっておらず、各々こだわりのペンを用意しているらしかった。いちばん多いのはジェットストリームだったが、わたしはあのわざとらしいヌルヌルとした書き心地があんまり好きではない。それにジェットストリームのインクは一年も経つと伝票上でボンヤリ滲んでしまって、それを見つけるたびにムム、ジェットストリームめ、となる。しかしストックの三菱ボールペンSA-R替芯もついに先週切れてしまって、わたしは今ボールペン難民である。仕方がないからナントカ保険会社だのナントカ温泉だのの名前が入ったボールペンを使っているが、客の前だと恥ずかしいので早くなんとかしたい。一番マトモなのは自分に合ったボールペンを見つけて買うことなのでしょう、けれどもわたしは会社の伝票は会社の備品のボールペンで書きたいという妙なこだわりがあることがこの度判明したので、三菱ボールペンSA-Rの替芯を自分で買って、黄色いセロテープが巻き付いたあのボールペンを使い続けるかもしれない。これは新人に舐められるかもしれませんね。

卒園おめでとうって伝えたかった

2019年3月24日(日)雪

子の保育園にはスール制度があって!、去年の一月頃、彼女は病み上がりの時期に魔の3歳児期など重なってかなり不安定だったのが、年中組のお姉さま『ゆづきちゃん』に日々面倒を見てもらってるうちに楽しくやれるようになった。会話の中にしょっちゅう「ペアのゆづきちゃん」がでてくるようになり、ごはんを一緒に食べてくれたり、集団行動で遅れを取ったときにフォローしてくれたりするらしかった。親子遠足のときに我が子にばかりおやつをたくさんくれる女の子がいて、あの子だれ、ときいたらゆづきちゃんだという。おおゆづきちゃん娘がいつもお世話になっております、というかめっちゃ可愛い子でびびった。ゆづきちゃんとのペアは年度をまたいでも継続したようで、運動会のプログラムで手をつないで一緒に走ったりしていた。どうだいゆづきちゃん、うちの子もマアマア成長したでしょう。子もゆづきちゃんと対等に走ることができて誇らしげにみえた。そんなゆづきちゃんも卒園だ。卒園式も終わってしまった。卒園式どうだった、ゆづきちゃんいなくなると寂しい?と聞いたが、子は「ヨクワカンネ」みたいな平常運転だったので安心した。切り替えが早いのが子の良いところで、そういえばプリキュアもわりとすぐに新しいのに馴染んだ。もしゆづきちゃんに会えれば卒園おめでとう、今までありがとうと伝えたかった。

 

 

寝る前に子とのトークタイムを設けていて、給食なんだったとかオカワリしたかとか一日のことをしゃべる。よくしゃべるしかわいいので、あー、娘ちゃんのこと大好きだよ、というと、カカはどうしてわたしのこと大好きなの?、という。そう言われると困ってしまうというか理由をつけたくないので、顔が好きだから、と答えることにしている。あとカカから産まれたカカの子だからだよ。すると子はフーンわたしトトから産まれたかったなと言ったので笑ってしまった。そういえばさ、産まれるときのことおぼえてる?と子にたずねると、ヘソの緒を切られるとき痛かったから泣いた、と返ってきてコイツ頭いいなと思ったりした。

 

咳がひどくて眠れぬ夜です

2019年2月17日(日)くもりときどきはれときどき雨ときどき雪

咳がひどくて眠れぬ夜を過ごしている。わたし風邪などはたいてい大ごとにならずに終わるのだが、咳ばかりが毎回しつこく残る。一昨年の春に地獄を味わったときは三日三晩夜も眠れず、しまいには肋骨が折れた。まあ骨折の診断は下りなかったけども折れたということにして、それを教訓として早い段階で医者に行くようにしている。この度もわたしは咳が長引くんです、肋骨が折れたこともあるんです、だからよく効く薬をください、と訴えると、医師(推定85)はあなたにはもったいないくらいのいい薬を出しましょうと抗生物質を処方してくれた。抗生物質ありがてぇ。おかげで喉の痛みは二日目で消えた。ただしこいつを飲むと副作用で味覚異常になる。仕方ないから期間中の味見はすべて夫に任せた。

加えて今回は聴覚障害も出たと思う。薬が効きはじめた頃から、いつも職場で聞こえているアラーム音や車で聴く音楽がなんか半音低いみたいに聴こえる。まあ薬が抜ければそれも治るだろうと思っているのだけど、なんとなく副作用について調べても聴覚障害の表記がなかったので、ここにこういう人がいますよ、という気持ち。

副作用にはほかに「ラ音」というのがあって、ドレミでいう「ラ」の音が幻聴みたいに聞こえるのだと思ってちょっとロマンを感じた。基準音と呼ばれる「ラ」の音が幻聴になるなんて! しかし調べたら違った。

ラッセル音ともいう。気管,気管支,肺胞,肺空洞などに分泌物や血液がたまって,呼吸のときなど,空気との接触で発する異常音。聴診器で聞く。乾性ラ音,湿性ラ音,大・中・小水泡音,捻髪音,有響性,無響性ラ音など,いろいろに分けられる。ラ音(ラおん)とは - コトバンク

 

まあそうですよねという感じ。

ふだん横を向いて眠りに入るところ、この姿勢だと咳がめちゃくちゃ出るので仰向けになって寝ることになる。すると必ず悪夢で目が覚めるので、わたしにこの姿勢は合ってないんだろう。最近の悪夢は必ずGANTZの夢で、GANTZをちゃんと読んだことないのに深層心理にどんな影響を及ぼしているというのか。

短歌 メモ

2019年1月14日(月)晴れ 穏やかな

先日、オンラインの歌会に見学で参加しました。今回からは自分の読みを自分の言葉で発言できるようになろうと、いちおうはそういう心構えでのぞんだのでした。

 

自分の短歌の読み方としては、一読あるいは反芻してまずは自分なりの情景を展開し、そこにわたし個人がもっている情報、印象を投影する。わたしはこの投影のタイミングが早いのだろう、というかそれ必要?「わたしが納得できる」情景の完成をもとめるあまり、歌そのものがもっている情報を見逃してしまう、あるいは故意に見逃す。他の方の評を聞いていると「この文法だとこの読みも考えられる」「この読みだとこの語の選び方はどうなのか」というのが結構出てきて、なるほどなるほどたしかにたしかにーとそこで気づくんでした。指摘によってさらに良い歌に思えることが多いので、独りよがりな読みはもったいないです。冷静になれ!

わたし個人が持っている情報や印象というのもだいぶ信用ならないもんだないうのも気づきのひとつで、たとえばあるモチーフについて、ちょうどさっきまで読んでたマンガにでてきたとか今日それ夕飯に出たけどおいしかったとか、そういう自分の中では納得して得たイメージでも、他人はその経験がないわけだし、なんなら自分自身だって今日の夕飯に別のもの食べていたら違う感想なのかもよ、ということを、歌を読むときには忘れないようにしたい。

 

じぶんは歌を読むときにイメージ拡げすぎるきらいがあるなと気付いてから、まずは文字のとおりに読もうかと思いつつ、他の方の評を聞くのがすごく勉強、刺激になる。


だけど自分でイメージを拡げたあとで、飛ばし読みしてしまった魅力に徐々に気付いていくのも楽しいんだよなー。

無題

2018年11月23日(金)くもりときどきあられ

ファミリーレストランに行ってお子様ランチを頼んだらおまけのおもちゃにビーズネックレスがついてきた。ゴムにビーズが通してあるやつだ。子がビニールから取り出し恭しく装着しようとする、その直前引ったくるようにして取りあげ、急いでビーズの数を数える。返して、返してよ。この理不尽な仕打ち、子は明らかに不満そうだ。夫も怪訝な顔をしている。早くしなければ。ビーズの数は38だった。わたしはそれをすばやく手帳に書き留めると、ネックレスを子に返した。満足だった。途中から創作です。

 

各々の椀ばかり見ておしゃべりといえば料理の感想ばかり

映画プリキュアを観に行きました。

2018年10月28日(日)くもりときどき雨

映画プリキュアを観に行きました。公開2日目にして朝イチの回なんてわれわれにとっては異例の機動力。もちろん子どもが観たがったからです。毎週楽しみにしているプリキュア、そこでバンバン映画の宣伝をしているのだから映画館に行きたがるのも当然であろう。映画がなんたるものかもわからず、なんならプリキュアという存在だってここ数ヶ月の保育園の女子コミュニティのなかでようやく認識してきたみたいな、そんな熱の高まりの中で毎日のように「ぷりきゅあ行きたい」「ぷりきゅあの映画観たい」「ぷりきゅあの映画の予告見せて」そしてスマホが熱くなるまで予告動画を見せる羽目になるのでした。だから夏に前売りチケット買ったときはすごく喜んじゃって、それからしばらくは折り紙で『チケット』という作品を作ってばかりいた。

それで今朝は日曜にもかかわらず早起きして、8時半からのプリキュアはしっかり観て、9時に家を出た。わたしは9時半からのルパパトをたいそう楽しみに最近は生きているのだけど、親としてそこは譲ってやった(しかも来週はお休みとな泣)。夫も仮面ライダーを諦めた。

さて、劇場での子は、楽しんだようなそうでもないような、案外冷静に映画を観賞したようだった。この子けっこうそういうところあるなというのが最近の発見で、こちらとしてはもっと楽しんでるとこ見してみぃと思うのだけど、あとになって「面白かったね」何度も思い出しているあたりでそれでいいのではないかなと思っています。照れてるのかな、しかしその気持ちもわかるぞう。反対にわたしのほうはどんどん涙もろくなっていき、オープニングからすでに目頭熱く、毎週見ているあのプリキュアがスクリーンで!という感動があった。

わたしは映画館で映画を観ることはほとんどなくて、最後に観たのはいつだったかな…?そんなだから今回のイベントはとてもわくわくしたんだ。しかも娘と行くという、子どもが大きくなったら一緒にショッピングしたりー、カフェに行ったりー、という漠然とした妄想みたいなものがひとつ叶えられた気がして嬉しかった。夫の小さい頃はおとーさんとよく映画に行っていたらしくて、そういう思い出を子にも作ってあげられるかなと思ったのでした。