咳がひどくて眠れぬ夜です

2019年2月17日(日)くもりときどきはれときどき雨ときどき雪

咳がひどくて眠れぬ夜を過ごしている。わたし風邪などはたいてい大ごとにならずに終わるのだが、咳ばかりが毎回しつこく残る。一昨年の春に地獄を味わったときは三日三晩夜も眠れず、しまいには肋骨が折れた。まあ骨折の診断は下りなかったけども折れたということにして、それを教訓として早い段階で医者に行くようにしている。この度もわたしは咳が長引くんです、肋骨が折れたこともあるんです、だからよく効く薬をください、と訴えると、医師(推定85)はあなたにはもったいないくらいのいい薬を出しましょうと抗生物質を処方してくれた。抗生物質ありがてぇ。おかげで喉の痛みは二日目で消えた。ただしこいつを飲むと副作用で味覚異常になる。仕方ないから期間中の味見はすべて夫に任せた。

加えて今回は聴覚障害も出たと思う。薬が効きはじめた頃から、いつも職場で聞こえているアラーム音や車で聴く音楽がなんか半音低いみたいに聴こえる。まあ薬が抜ければそれも治るだろうと思っているのだけど、なんとなく副作用について調べても聴覚障害の表記がなかったので、ここにこういう人がいますよ、という気持ち。

副作用にはほかに「ラ音」というのがあって、ドレミでいう「ラ」の音が幻聴みたいに聞こえるのだと思ってちょっとロマンを感じた。基準音と呼ばれる「ラ」の音が幻聴になるなんて! しかし調べたら違った。

ラッセル音ともいう。気管,気管支,肺胞,肺空洞などに分泌物や血液がたまって,呼吸のときなど,空気との接触で発する異常音。聴診器で聞く。乾性ラ音,湿性ラ音,大・中・小水泡音,捻髪音,有響性,無響性ラ音など,いろいろに分けられる。ラ音(ラおん)とは - コトバンク

 

まあそうですよねという感じ。

ふだん横を向いて眠りに入るところ、この姿勢だと咳がめちゃくちゃ出るので仰向けになって寝ることになる。すると必ず悪夢で目が覚めるので、わたしにこの姿勢は合ってないんだろう。最近の悪夢は必ずGANTZの夢で、GANTZをちゃんと読んだことないのに深層心理にどんな影響を及ぼしているというのか。

短歌 メモ

2019年1月14日(月)晴れ 穏やかな

先日、オンラインの歌会に見学で参加しました。今回からは自分の読みを自分の言葉で発言できるようになろうと、いちおうはそういう心構えでのぞんだのでした。

 

自分の短歌の読み方としては、一読あるいは反芻してまずは自分なりの情景を展開し、そこにわたし個人がもっている情報、印象を投影する。わたしはこの投影のタイミングが早いのだろう、というかそれ必要?「わたしが納得できる」情景の完成をもとめるあまり、歌そのものがもっている情報を見逃してしまう、あるいは故意に見逃す。他の方の評を聞いていると「この文法だとこの読みも考えられる」「この読みだとこの語の選び方はどうなのか」というのが結構出てきて、なるほどなるほどたしかにたしかにーとそこで気づくんでした。指摘によってさらに良い歌に思えることが多いので、独りよがりな読みはもったいないです。冷静になれ!

わたし個人が持っている情報や印象というのもだいぶ信用ならないもんだないうのも気づきのひとつで、たとえばあるモチーフについて、ちょうどさっきまで読んでたマンガにでてきたとか今日それ夕飯に出たけどおいしかったとか、そういう自分の中では納得して得たイメージでも、他人はその経験がないわけだし、なんなら自分自身だって今日の夕飯に別のもの食べていたら違う感想なのかもよ、ということを、歌を読むときには忘れないようにしたい。

 

じぶんは歌を読むときにイメージ拡げすぎるきらいがあるなと気付いてから、まずは文字のとおりに読もうかと思いつつ、他の方の評を聞くのがすごく勉強、刺激になる。


だけど自分でイメージを拡げたあとで、飛ばし読みしてしまった魅力に徐々に気付いていくのも楽しいんだよなー。

無題

2018年11月23日(金)くもりときどきあられ

ファミリーレストランに行ってお子様ランチを頼んだらおまけのおもちゃにビーズネックレスがついてきた。ゴムにビーズが通してあるやつだ。子がビニールから取り出し恭しく装着しようとする、その直前引ったくるようにして取りあげ、急いでビーズの数を数える。返して、返してよ。この理不尽な仕打ち、子は明らかに不満そうだ。夫も怪訝な顔をしている。早くしなければ。ビーズの数は38だった。わたしはそれをすばやく手帳に書き留めると、ネックレスを子に返した。満足だった。途中から創作です。

 

各々の椀ばかり見ておしゃべりといえば料理の感想ばかり

映画プリキュアを観に行きました。

2018年10月28日(日)くもりときどき雨

映画プリキュアを観に行きました。公開2日目にして朝イチの回なんてわれわれにとっては異例の機動力。もちろん子どもが観たがったからです。毎週楽しみにしているプリキュア、そこでバンバン映画の宣伝をしているのだから映画館に行きたがるのも当然であろう。映画がなんたるものかもわからず、なんならプリキュアという存在だってここ数ヶ月の保育園の女子コミュニティのなかでようやく認識してきたみたいな、そんな熱の高まりの中で毎日のように「ぷりきゅあ行きたい」「ぷりきゅあの映画観たい」「ぷりきゅあの映画の予告見せて」そしてスマホが熱くなるまで予告動画を見せる羽目になるのでした。だから夏に前売りチケット買ったときはすごく喜んじゃって、それからしばらくは折り紙で『チケット』という作品を作ってばかりいた。

それで今朝は日曜にもかかわらず早起きして、8時半からのプリキュアはしっかり観て、9時に家を出た。わたしは9時半からのルパパトをたいそう楽しみに最近は生きているのだけど、親としてそこは譲ってやった(しかも来週はお休みとな泣)。夫も仮面ライダーを諦めた。

さて、劇場での子は、楽しんだようなそうでもないような、案外冷静に映画を観賞したようだった。この子けっこうそういうところあるなというのが最近の発見で、こちらとしてはもっと楽しんでるとこ見してみぃと思うのだけど、あとになって「面白かったね」何度も思い出しているあたりでそれでいいのではないかなと思っています。照れてるのかな、しかしその気持ちもわかるぞう。反対にわたしのほうはどんどん涙もろくなっていき、オープニングからすでに目頭熱く、毎週見ているあのプリキュアがスクリーンで!という感動があった。

わたしは映画館で映画を観ることはほとんどなくて、最後に観たのはいつだったかな…?そんなだから今回のイベントはとてもわくわくしたんだ。しかも娘と行くという、子どもが大きくなったら一緒にショッピングしたりー、カフェに行ったりー、という漠然とした妄想みたいなものがひとつ叶えられた気がして嬉しかった。夫の小さい頃はおとーさんとよく映画に行っていたらしくて、そういう思い出を子にも作ってあげられるかなと思ったのでした。

無題

ばあちゃんと海に行ったよ。バスに乗って行ったよ。バスは後ろの席に座ったよ。ある夏の日だった。ばあちゃんは白いストッキングを履き、白い日傘を差していた。海岸沿いのとある温泉街でわたしたちはバスを降り、白い砂浜に向かってあるき始めた。途中に親戚の雑貨屋があり、ばあちゃんはわたしに保冷剤と、ジュースやおやつなんかを買ってくれた。保冷剤にはちびまる子ちゃんが描いてあった。連載初期の頃のイラストだった。
海岸に着くと、ばあちゃんは日傘をそばに置いて砂浜に腰をおろした。浜は静かだった。わたしも隣に座って、さっき買ってもらったジュースやおやつを、ばあちゃん開けてとお願いした。ばあちゃんがおやつを開けているとき、少しの海風が吹いて、
「あ」
ばあちゃんの日傘をたちまち海に運んでしまった。わたしは慌てて追いかけたけど、自分のつま先すらも海水に濡らす根性はなかった。わたしの目の前で日傘はさらに沖へと飛ばされ、ぷか、ぷかと浮かんでいるかと思ったら間もなく沈んだ。

祖母はそれから長い間このエピソードを大切にしていて、「あんたとふたりで海に行ったとき、日傘が飛ばされてねえ」と楽しそうに話すことがよくあった。そんな昔のことよく覚えているなと言いながら、わたしだって鮮明に覚えている。あのときわたしゃ結構ショックだったんだよ、祖母の日傘をあんなふうに失ってしまったこと。自分が日傘をおさえていれば、とか、まだ浅瀬にあるうちにひろいにいけばよかった、とか。しかし祖母は、そうやって打ちひしがれたわたしすらも可笑しいと思ってくれているようだった。ばあちゃんがこのこと忘れないでいてくれてよかった。

無題

2018年9月24日(月)中秋の名月(くもり)

眠る前の子が、「ねー、今日は長いお話して」という。いいよ、今日はお風呂も歯みがきもさっさと終わらして、いつもより早い時間にお布団に入ったからね。

 

アンパンマンアンパンマンアンパンマンのおはなし』。


あるところにアンパンマンがいました。ある日アンパンマンがパトロールしていると、エーンエーンと泣き声が聞こえました。どうしたんだい、と近づくと、そこにいたのは、だれだと思う?
「えーと、カバオ?」
そこにいたのはアンパンマンでした。アンパンマンは、エーン、道に迷っちゃった、パン工場に帰れないよう、と泣いていました。アンパンマンは、それは困ったね、ぼくの顔をお食べ、パン工場に連れて行ってあげよう、と言って、顔を半分あげると、アンパンマンとふたりでパン工場に向かいました。
二人がしばらく行くと、おーい助けてくれー、と呼ぶ声が聞こえました。どうしたの?と近づくと、だれだと思う?
うさこちゃん?」
そこにいたのはアンパンマンでした。アンパンマンは、マントが木に引っかかって降りられない、助けてください、と言いました。アンパンマンは、それは大変だ、と言って、アンパンマンと協力して木から降ろしてあげました。それから顔を半分食べさせてあげました。
アンパンマンアンパンマンアンパンマンがしばらく行くと、うわあ大変だあ、という声が聞こえました。アンパンマンが様子を見に行くと、だれがいたと思う?
「ちびゾウくん…」
そこにいたのは、なんと、アンパンマンでした。アンパンマンは、海に入ったら顔が濡れて力が出ない…、と困っていたので、アンパンマンは顔を半分あげました。
アンパンマンたちがもうしばらく行くと、困ったな、困ったな、という声が聞こえました。だれ?
アンパンマン!」
そう、アンパンマンです。アンパンマンは、お腹が減って力が出ない、というので、アンパンマンは顔を半分あげました。
さて、アンパンマンたちは顔が欠けて力が出ないので、パン工場で新しい顔を焼いてもらうことにしました。やっとの思いでパン工場につくと、辺りにはパンの焼けるいい匂いがただよっていました。
アンパンマン、ご苦労さま。もうすぐ新しい顔が焼けるよ」
ジャムおじさんがそういった途端、チーンと音がして、おいしそうなアンパンマンの顔が焼けました。ところがです。焼きたてのアンパンマンの顔は、ひとつしかありません。アンパンマンたちは、それは俺のだ、いいや僕のだ、君は最後だ、と争いはじめてしまいました。ジャムおじさんが、アンパンマン、ケンカはよくないよ、と言っても、だれも言うことを聞きません。ジャムおじさんもバタコさんも困ったな、困ったな、と困っていると、おーいケンカはやめるんだ、と声が聞こえてきました。だれ?
「アン!パン!マン!」
正解!『おしまい!』

今日のお話どうだった?と聞いたら、子はひとこと「長かった」と言って寝た。

無題

2018年9月23日(日)晴れ

ある雨の日、保育園からの帰り道、いもうとは写真屋の看板の影に打ち捨てられたぬいぐるみを見つけた。汚いから拾わないでと母親は言ったが、家に着いてからもぬいぐるみのことが気がかりだった彼女は泣いて母親に頼み込み、結局はわたしと三人でまた雨の中、ぬいぐるみを拾いにでかけた。ぬいぐるみはそのままの姿で看板の影にあった。いもうとはそれを拾うと、ええと、そこからの記憶がない。そのあと母親がぬいぐるみを洗濯し、それはしばらくの間、見せしめのように茶の間の壁に吊るされて干してあった。キツネのぬいぐるみだったのでコンちゃんと名付けられた。当初はマスクをしていたので風邪ひきのコンちゃんだったのかもしれない。マスクは初期の段階でどこかへいってしまった。コンちゃんはいま娘が可愛がっている。
拾いたがりのいもうとが我が家のねこを拾ってきたのも5年前の雨の日だった。後先考えずに拾ってくるのは彼女の尊敬したいところのひとつ。あいつ猫アレルギーのくせしてよく拾ってきたな。ありがとう。
写真屋は先月店仕舞して、長らく店先にあった看板もなくなっていた。